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March 19, 2009
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カテゴリ:自分のコト
土曜日の決戦の日を数日後に控えて、私は相当ビビっております。
彼曰く、「主導権」は母親が握っているらしい・・・。

昨日の彼へのお説教はその母親からだったそうだ。
「気が強いから・・・・わからん


「おとーさんは?一緒に何か言われたんじゃないの?」
の問いに
「ん?遊びに出かけてたスマイル
・・・・・・・。



怖いっっどくろ






二人の子供は「孫としては見る事ができない」というのは、もっともな話だと思う。
だけど今すぐじゃなくていい、いつかは理解してもらえたら・・・というのが私の希望だ。

問題は私の離婚した理由。
「子供が二人もいて何故離婚したか」
ぶっちゃけ私もそこを突かれると痛い。
今でもトラウマに悩まされているのに、それを初めて会った相手に言うのはものすごく勇気がいる。
多分話したら泣いてしまうかもしれない。

「子供の事を考えたら離婚なんて考えないでしょ」
というのは一般的な考え。

だけど、結婚って、家庭って一人だけが我慢していれば済む話じゃないと思う。
お互いに協力して、歩み寄ってできるものではないかと思うのは私だけなんだろうか。

結婚していた頃は、確かに楽しい時もあった。
だけどそれ以上に苦しかった・辛かった時の思いが強い。



にょきちを産んで2週間。
母親になったばかりの私に、
「子供が泣くのは子育てが下手だから」
「可哀想だから泣かせるな」
「母乳が出ないのは母親としての自覚がないからだ」
どんなに頑張って母乳を飲ませようとしても出なかった。
夜中に泣きながら搾乳した。
2時間も搾乳に時間をかけても、ほんの少しだけ。
それでも毎晩毎晩搾乳し続けた。


ほんの2、3分でもにょきちが泣くと怒鳴り込んできた。
子供をお風呂に入れた後、自分の着替えも出来ずにバスタオル一枚羽織っただけの私に罵声を浴びさせる。
夜泣きをすれば、
「近所迷惑だ」
「もっと上手に子供を育てられないのか」
それを舅は「子育てのアドバイス」だと言い張る。


仕事で不在の為、少しでも・・・と、子供とコミュニケーションを深める為に始めた交換日記。
元ダンナにさえも見せていなかったその日記を全て義親がチェックしていた。
にょきちが「読まないで」と言っても取り上げて毎日読んでいた。
学校からの連絡帳や先生からの個人的な手紙にも目を通した。
全てを自分中心で回らないと気がすまない人だった。
それを非難すると逆ギレ。
「にょきちは頭が悪いから、勉強をみてやれ」
元教師だったら、アナタが教えてやればいいでしょうよ?ムカッ



そして「親切」の押し付け。
勝手に部屋に入ってきては、洗濯物や布団を干す。
「やっといてあげたわよ」
どうしても美味しいとは思えない料理を持ってきては
「余ったし、捨てるのも勿体無いし、持ってきてあげた」
もう少し違う言い方があるのではないかと思う姑。

「子供は良く泣くのよ。泣いて当たり前。○○(元ダンナ)はあまりにも泣きすぎてひきつけを起こしたくらいだもん・笑」
そんな風に言うくせに、一度足りとも舅が怒鳴り込んで来た時に助け舟を出してくれたことなどない。
そして極めつけが、たろうの妊娠が発覚した時、
「これ以上産めない様に、縛ってちょうだい」
それも元ダンナ、そして私本人、その上実母までに電話をして手術をするように勧めた。




子供に対しても多くの事を要求した
「きちんとしなければいけない」
「大学へ入って、官僚にならなければいけない」
姑は元ダンナを自分の見栄の為に外務省に入れたかったらしい。
だけど、元ダンナは出来がよろしくない。
果たせなかった夢を孫に託していた。
私が不在時、子供には勉強を強制した。まだ保育園児の子供に・・・。
そして健康志向が強い姑は、
「コレがカラダにいいから、コレを食べなさい。血液がサラサラになるから」
生のたまねぎをオヤツに出してきたそうだ。
子供にとっても、義親との生活は嫌だったという事も後々に知った。
そして手を上げていた事も。





元ダンナは忙しい人だった。
結婚してからというもの朝6時半に出勤。夜は毎晩23時だった。
係長から所長に、そして本社の幹部と出世だけはしたが、その都度仕事優先で家庭を顧みる事はなかった。
金銭的にも厳しかった。
私と結婚する前、家を建てたがボーナスがないのにボーナス払いの併用で住宅ローンを借りた。
おかげで消費者金融等、色々なところから借り入れ、実に自転車操業状態だった。


それでも私が働いていた頃は、全て私の給料で生活していた。
それこそ、レジャー費用や誕生日、クリスマスのイベント時のプレゼントも全て私が用意。
それでも「おかんとおとんからだよスマイル」と連名でプレゼント。
家に帰れば子供が私を待っていてくれる。
だけど、義親も待っている。
帰れば必ずグチグチと何か言ってくる。
帰りたくなかった。自分の家なのに、子供が待っているのに帰りたくなかった。
毎週末には会社の人と飲み歩いた。
子供に会いたい。だけど家には帰りたくない。


そんな状態だからこそ、更に義親との仲は悪くなる一方だった。
顔を合わせれば怒鳴りあい。
そんなみっともない姿を子供達はいつも目にしていた。
そんな姿を本当ならば見せたくなかった。
「誰とでも仲良くしなきゃいけないよ」
親として言っている事とやっている事が全く違う。



私が妊娠・出産で働けなくなってからは、更に苦しかった。
離婚目前。
生活費なんて貰えなかった。
私の僅かな失業保険で、オムツやミルクを買った。
元ダンナは自分のローンの支払と交通費、そして自分の昼食代だけを確保して生活費としてはもらえなかった。

その頃我が家にはお米しかなかった。
それも一番安い、美味しくないお米。
ゴハンを炊き、塩や味噌をつけて食べた。
私も食べたら、お米はすぐになくなる。
だから私は一日一食しか食べないようにした。
だけど子供達だけにはオナカいっぱい食べさせていた。


その頃になるとは元ダンナとは顔を合わせる時間なんてなかった。休日も出勤。
相談しようも、話をしようも夜中2時に帰ってきて、5時には家を出る、そんな毎日の生活に何もかも諦めていた。
すれ違った生活を何年もしていて、お互いに労う事・相手を思う事・そんな事はいつの間にか出来なかった。


これが私の離婚した大きな理由だ。
子供を守る為、そして自分を守る為に離婚した。
それが相手の親には理解できるだろうか。
(一番の理由は義親ですが・・・)

だけど初めて会う人に言う事ではないと思う。
この話をしたら、絶対私は泣いてしまうと思う。
辛かった、怖かった、本当に逃げ出したかった。
そんな10年の結婚生活だった。












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Last updated  March 19, 2009 10:46:50 AM
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