優しい子に育ちました・涙
今日からにょきちの登校班の班編成が変わる。新年度のメンバーで登校する。集合場所はウチのアパートの目の前集合時間は7時50分。もちろんその時間は私はいません。にょきちはずっと鍵っ子ですからそのにょきちから、先週こんな話が出た。「ねーおかん、お隣さんも今度は登校班同じでしょ。7時50分ではお隣のお母さんがお仕事行ってて居ないから、外でずっと待ってるのは可哀想でしょ・・・。集合時間まで、お隣さんがうちに来ててもいいかな・・・?」ふむ。なるほど。「勝手に決めたらよくないと思って、おかんに聞いてからと思ったんだけどどうかなぁ」そういう事ね。「うん、いいよー」朝のほんの20分程度、テレビか何かを見て過ごすだけだろうが、そんな風に人の事まで心配できるように成長したにょきちがとても嬉しく思いました。確かに「アレ買ってー。コレ買ってー。ココ行きたい~~」と自分の欲望が強すぎるにょきちではありますが、親としてはすごく嬉しい。”片親だから子供は悪い方に育つ。これは間違いない”元ダンナの親に言われました。私自身も片親で育ち、それについて自分を可哀想とか不憫なんて思わなかった。逆に育ててくれた親に感謝している。教師生活を定年までしていて、”片親の子供は粗悪”そうずっと思っていたという事自体が私には理解不能だった。こんな教師に教わった子供達が可哀想だ。そんな偏見の目で見られていたと思うと不憫だ。だけど私はそうは思わない。片親だからこそ、親の苦労も見て知っているし、家計が厳しいからこそ物を大事にする。そしてお互いに助けていかなければいけない事も自然に身についた。両親が揃っていても素直に育つとは思わない。甘やかされて育つ子供より、多少の苦労をした子供の方が他人の痛みもわかるはずだ。今のところ、にょきちは私の思う「他人の痛みをわかってあげられる」気持ちを持っているんだと知った事がすごく嬉しい。だからこそ、このにょきちの提案は受け入れてあげたいと思った。勉強なんて、最低限の事だけ理解すればいい。それよりも人間として大事なものを失う方が私としては悲しい。