気持ちの整理。
私はまだ自問自答の繰り返しでいる。これからどうしたらいいのか、どうするべきなのか。まだ決断できない。今までほとんど誰にも言わなかった・言えなかった事もとりあえず文字にして自分の中の気持ちを整理しておきたい。特にコメントも求めていないし、中には気分の害する人もいると思う。そういう人に関しては実にスルーしてもらっていい。あくまでもこれは私の気持ちで、日記なので・・・・。今回の件に関しては、非常に予期せぬ事であった反面、正直本当に嬉しかった。子供は3人欲しかったのも事実。それはもう叶わない事だと自分でも思っていた。相手に妊娠している可能性がある事を告げた。妊娠するのは一人だけの問題じゃない。だからこそ私は相手の返事を少しの期間待とうと思っていた。シングルのまま子供を産んで育てるか。結婚して家族となるのか。結婚はせずとも認知してくれるのか。もしくは中絶するのか。ところが翌日には笑って「腹をくくるか」そう言ってくれた。一言も堕ろしてくれとは言わなかった。彼が「腹をくくる」と言ってくれていなかったら私はどうしたのだろうと思う。出来れば子供は堕ろしたくなかった。私は元ダンナの子供を誰にも内緒で中絶している。避妊をしなければ妊娠の可能性があるとわかっていた。当然の事だ。当時の私はまだ20歳になっていなかった。仕事も覚えてきて楽しかった。色々なところへ友人と出掛けたり、自分の為に有意義に使える時間とお金があった。妊娠がわかると、看護婦をしている友人のツテで信頼できる個人の産婦人科を紹介してもらった。その時のその自由な時間を「こんな事で・・・」と無くしたくなかった。もちろん中絶に関して躊躇しなかった訳ではなかった。朝早くの新幹線に乗り、友人の紹介してくれた産婦人科へ向かう。前の晩は眠れなかった。自分がやってきた事の当然の結果なのに。うとうとすると夢を見る。夢に子供が出てくる。もともと私は小さい子は好きではない。夢に見る事なんて一度もなかった。夢の中に出てきた子供は泣いていた。それだけだった。何度も何度もうとうとしながら同じ夢を繰り返してみた。東京から仙台までの2時間もかからない道程が本当に近く感じた。いつもなら迷うはずの道中も、初めて行くのに迷いもせずにたどり着けた。そこで同意書にサイン。もちろん相手はいない。架空の名前で、そこら辺で売っている三文判で相手側のサインを自らする。自分の名前と保険証を提示して受付は終了。麻酔を打たれ、気づくとベッドで寝ていた。「処置は終わりましたよ」と看護士が声をかける。どうやら長い時間寝ていたらしかった。「全然寝ていないでしょ。もうしばらく横になっていていいのよ」その心遣いが嬉しかった。病院を後にした私は兄が一人で暮らしているアパートへ行く予定だった。地下鉄のホームで、自分で決めた事なのに後悔しているのか後から後から涙が出てきた。帽子を目深に被っていたが、どうしても隠せない。何度も何度も歯を食いしばって泣かないようにしていた。それでも涙はあふれた。その時の地下鉄のホームの冷たさを今も覚えている。もう二度とこんな思いはしたくないと思った。自分で自分の体を傷つけた。せっかく宿った小さな命を自分の手で失くした。その罪はこれから先も癒えないと思う。10年以上経ってもそれは忘れていない。それから1年後に結婚を前提として元ダンナと同棲。それからはなかなか妊娠してほしくても妊娠しなかった。毎週のように義親から「子供はまだか」という催促の電話が入る。そして実家の母親にも「早く孫の顔を見せて」と電話を入れる義親。「妊娠しなければ嫁としては失格」という烙印をおされた。「もう帰っておいで」見るに耐えかねた母親から言われた頃、妊娠が判明した。ほっと一息ついたと思ったら、流産だった。おりものの中に茶色い血が混じっていた。それが何日も続く。心配になって病院へ行くとすでに流産している状況だと判った。翌日に入院するように言われる。残っている胎盤を摘出する為だった。入院する前日、私はコインランドリーへ自分とダンナの分の洗濯物を持って行き、乾燥機にかけた。血の混じったおりものはすでに出血になっていた。コインランドリーへも一人で行った。ダンナは何も言わず「気をつけて」と言ったっきりテレビを見ていた。流産に関しては詳しい原因がわからないという。子供自身が十分な機能を持っていなかった可能性が高いという。「決してあなたのせいではない」と言われても、自分をまた責めてしまう。それから間もなくにょきちを妊娠した。ほとんど意地だった。無理矢理セックスをした。好きとか嫌いとか愛情とか関係なくそれは自分を守るためだった。義親になじられ、親に泣かれ私はもうどこにもいられない気がした。辛かった。本当に辛かった。にょきちが産まれ、元気に育った。にょきちが育つにつれて、義親との争いが増えた。ダンナはいつも留守だった。そんな環境なのだから、二人目なんて到底考えられなかった。ダンナと体を重ねるのが嫌だった。セックスレスでよかった。しかしダンナは性欲の捌け口として私を使った。寝ている私のパジャマの下だけ剥ぎ取って無理矢理入れようとした。入らないと判ると、私の股間にツバを吐きかけてそれでも入れようとした。人間としてでなく、道具のように扱おうとしていた。何度も拒んで逃げた。同じ寝室にいるのが怖かった。こんな事を繰り返しているうちにたろう嬢を妊娠。にょきちも私も子供が出来た事に関しては素直に喜べた。ところが義親はまたも女の子であると判明してからは「二度と妊娠しないように、縛って」そう言った。ダンナにも私に手術するように言えと。実家の親にも手術をするように娘に言え、と電話を繰り返した。たろう嬢が生まれてからも義親との争いは絶えなかった。ダンナとは同じ家にいても顔を合わせる時間もなくなっていた。彼自身も疲れていた。私も疲れていた。子供が泣かないようにと四六時中目を光らせ、ずっと抱っこしている私がそこにはいた。子供が泣くと義親がたちまち怒鳴り込んでくる。そこでまた怒鳴りあいの喧嘩になる。罵声を浴びさせられ、非難され続けているのに、大人しくて従順な嫁にはなっていられない。これを繰り返しているうちに、とうとう私が我慢できずに離婚を選んだ。確かに今の生活は決して楽ではない。経済的にも精神的にも。だけどここには結婚していた時にはなかった自分らしい生き方の出来る空間と世界がある。子供の事に関しても自分の事に関しても。そして私には親身になって助けてくれる人もいる。こんな事があってから、子供は欲しい。だけど結婚は・・・・という不安と恐怖がある。新しい命を無駄にしたくない。だけど怖くて仕方ない。「腹をくくる」と笑って言ってくれた彼だった。それでもまだ私は迷っている。誰にも言えなかった、言いたくなかった過去をさらけ出す事で、もう一度自分を見つめなおしてみたい。そして克服できるなら過去の恐怖から抜けだしたい。もう少し強くなりたい。