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カテゴリ:ありふれた日常劇場
お盆の初日。
父の兄にあたる叔父の新盆、生前б( ̄▽ ̄)の娘に会いたいと言っていたのに、約束が果たせず、新盆に連れて行こうと思った。 叔父さんにしっかり報告してお墓にごめんなさいをいわなければ。 と思ってたのだ。 父の田舎は子供の頃何度もお盆に帰ったから、懐かしいのと、風景がやはり変わりつつあることに寂しさを感じた。 でも田園風景は本当に美しい、なんともいえない懐かしさで和ませてくれる景色だった。 ここのお盆の風習はおもしろくて、お墓にお供えした供物を他人の家のものでも、子供達は拝んだら持って帰っていいのだ。そしてそれを食べると一個あたり10年長生きすると言われている。(б( ̄▽ ̄)は子供の頃13個一気食いしたが。。)おそらく、食べ物の貴重な時代の慣わしだからなのだろう。 私の子供の頃も、地元の子と競って墓の供物を狙ってた。モノ余りの現代っ子は、見向きもしないのか??などと思いつつ、お墓へ親族一同と向かう。お墓に手を合わせ、供物を出したとたん。周りには殺気と共に見知らぬ子供の集団が回りを取り囲んだ。 通りすがりの子供どうしで、「あっちの立派なお墓はどこそこの水羊羹だった」と収穫を自慢しあっていた。風景はかわりこそすれ、子供のお菓子への執念は変わらなかったらしい。。ちょっと笑えた。 娘も親族の叔父さんのフォローで無事5つほど供物げっと、50年長生きすりゃ十分だろとほくそえむ私。 お寺お参りして墓からもらった火を提灯にともして家に帰るそれは、仏様を家に連れて帰るための道先案内の火となるのだ。娘に説明したあと、火が消えないようにサポートする私、気分は聖火ランナー。(^^;) 約1.5キロの道のり足腰の弱い大人は車へっつったらワシと娘だけぢゃんよ!>徒歩部隊 提灯に浴衣ですっかり上機嫌の娘、遠方から聞こえる盆踊り音頭にも反応して踊り出すのを制止しつつラストの道のり30メートルで国道にでた途端、通過した大型トラックの風圧で火が消えますた(;_;) 「やばい!火消えちゃうとおじちゃんお家帰れないよ、もう一回墓に戻らないと!」と言うと元気よく「うん!じゃあ戻ろうか!」と言う娘。かんべんしてくれー帰りはくだり坂なんだけど、行きは登りでけっこうきついんだぞ~~~~~。 「汗(^^;)、だいじょーぶこんだけ近いからおじちゃんきっと家見つけたはずだから」とあわてて言い訳してライターで火点灯した。 子供の頃、仏壇の火をいじるのに、親にしかられなかったからか、線香の番人のように、仏壇にくっついて、何かと火を絶やさない事を我が仕事にしていた私。 遺伝子がそうさせるのか、娘がそっくり同じことをし、お線香をあげて拝むのが大好きになったようだ。。 親族一同があつまって宴になった。叔父さんの奥さんが「にぎやかなのが大好きだったから喜んでる」と涙ぐんでいた。 子供のころ「おにーちゃんおにーちゃん」といっしょに遊んでくれていた従兄弟もすっかり白髪をたたえはじめ。世代が移り変わったことが実感として受け止められた日でもあった。 そしてゆくゆくは娘が同じものを継いでいくのだと思うと、なんともいえない思いがいっぱい広がった。 お盆は風情がありますな。日本風習も悪くないと思う一日だった お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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