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うーむ、試されたくないし。試したくないわ。
人に対しては 「ごめんなさい」 「ありがとう」 どうしてもシンプルに言葉に反応できないんだろう。 たしかに 「ごめんなさい」 「ありがとう」 に人は気持ちをこめる。だから言葉の裏にある計り知れない思いを人は知ろうとする。 「ばかねー」と言われたりしてもいろいろな幅がある。 酷く惨めになった気持ちのときと、愛着をもって言ってもらった時と、とてもとても幅があり、その相手の気持ちを知るために、人は言葉の裏読みをするのだ。 でも言葉は言葉として受け取ることが大切な時がある。 それは人を試して気持ちをもっと知ろうとする自分がいるとき。 「好き」って聴くと 「どれくらい好き?」って聴く 「いっぱい」といわれたら 「いっぱいなんだー♪」で幸せになれるくらいがいい。 「ほんとかしら?」と始ると 「だってこないだこんなことしてあんなことして、こんなことがあったのに、ほんとかしら?」といういっぱい回りにくっついたりするのだ。そして自分でも気がつかないほど自然に、それ全部が真実の塊となって自分の中にできあがる。 そして、「いっぱいだよー」という相手の言葉を聞いただけで、「また適当なこといって。。」と心の中に言葉がひびかなくなるほどのバリアーとなるのだ。 そんな余分なことで、ありもしない事までほじくりかえしてぐるぐる悩みはじめるなら。 「いっぱいだよー」で満足する按配を覚えたい。 なんで「ほんとかしら?」と思うかってーと 人は信じてた人に騙されたくないからだ、騙されて傷つきたくない。 疑って疑って本当に騙されてたら確かに傷は浅い でもなんでもない人に疑って疑って試したら。きっと嫌われる。 б( ̄▽ ̄)はそっちのほうがやだなぁ。。 自分を試すのはいいが、人は試したくない。 馬鹿でけっこうだから、言葉を言葉のままうけて 一喜一憂したいのである。 「ありがとう」の言葉に相手の感謝の気持ちを深く感じるためにいろいろとオプションをつけてさらに嬉しくなるのは素敵 だけど「ありがとう」の言葉に、えーーーーーーそれだけなの?ってなる事と、ありがとうの後ろに相手プラスアルファを求めるのはちょっといただけない。 感謝の言葉は「感謝の言葉」でありそれ以上それ以下でもないのだ。 何か他にしてほしかったら。口にしましょう^^ 友達「ありがと~」 ワシ「いえいえこちらこそ、そーですかそーですか。 今度ご飯でもご馳走したいくらい感謝してくれて、 いやいいですよ。 え?ほんとですかーわるいなぁ、ご馳走様♪」 このくらい素直になりましょう♪(マテ) 大概の人は呆れてから笑ってご飯おごってくれます。 ※常時使用すると友達なくしますので容量用法を守ってご利用は計画的にw お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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