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カテゴリ:人生とわ!
あの人のココがとても弱点として気になる
あの人のココが良くなれば・・・・ どうしてあの人はそんな考え方しかできないんだろう 相手の能力の加減に批評をするのはたやすいこと。 でもそれが、会社の上司あるいは部下だったら、プロジェクトを組んだ取引先だったら、あえて相手の弱点に触れず、なんとかその場をやり過ごすか、苦労のはけ口をほかの誰かに打ち明け、相手の無能さに苦悩するだろう。 ではそれが愛する相手だったら、どうする?なんの利害もない友達だったらどうする?伴侶だったら? おそらく、仕事相手同様不足部分に愚痴をこぼすか、相手に直接求めるだろう。ここまではありがちで簡単な逃げの策だと思う、現に自分もそのような事ばかりしてきた。 一緒にいて互いを補い合うこと、できない事は自分がすればよいのだ。相手の足りないところばかりみていたら、本当にきりがない、でもそれも含めて相手である事をまず認める事からはじめよう。 無理して認めようとしても難しいかもしれない。 自然に思えるまでそのままにしておくとよいのだ。 自然に思えるとはどんな感じかというと、たとえて言うなら、ただそこにに空があるように、ただそこに雲が流れるように、ただそこに木が生えているように当たり前に思える事。 木は春になれば花が咲き、夏がになれば葉が生い茂り、秋になれば色づき、冬になれば枯れて散る。 花が咲く事だけが木ではなく、枯れ葉落とすのもまた木の行う大切な行為なのだ。 全部を含めて木だと言えるならきっといつか言えるだろう。 その人は全部ふくめてその人なのだ。 外側から、木に何か別なものになれとは言う人は誰もいないでしょう。でも木が木でありながら、いつか何か別のものになりたいと思っていたら、それはそれで素敵な志だと思ったりするのだ。 木が木であることを知って、木が木であることを認めたら あとは木の好きにさせましょう。 こんなお付き合いが一緒に生きる相手とできたら、とっても幸せだと私は思う できてるかどうかは別として(笑) 自分を知って、自分の弱いところを克服しようとする志は本人の意思によってしか行えず、他人が同行いうことではないのだ。 近くにいる人はそうして木が何か変わろうとしている姿を暖かく見守るくらいで丁度良いのかも 少なくとも、私はこの一年でなんだかまわりの人になんかやりそうな木として暖かく見てもらってたような気はする。とってもありがたい事だ。だから私も来年はそういう風に誰かを暖かく見守れる人になりたいな。 葉っぱがすっかり枯れて枝のみになった庭の木をみてふとそう思った。 今年一年ありがとう^^&来年もよろしくなのだ♪>みなさま お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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