やるせない。
呆然として、愕然とした。ちんぷな表現でもうしわけないのですが、それしかいいようがない。最新号のラグビーマガジン、この時期らしく高校ラグビー特集が組まれています。以下抜粋(文字反転)。高校物語2011冬四日市農芸人生の坂道。どこよりも伸びる子どもたち。誰よりも負けてきたから、挑める。・・・昨年、下村監督には悲しい事があった。娘が遠くに行った。そして、2人の孫を失ったのだ。事件は広く報じられ、監督にも鋭い視線が向けられた。マスコミの容赦ない態度。見知らぬ人から届く中傷の手紙やメール。学校を1ヶ月半、部の指導を2ヶ月近く休んだ同監督はその間、後悔と悲しみにまみれ、ただの一度も感じたことがなかった思いまで沸いた。 「もう、なにもかもやめたい。そう思ったんです」 いつも上を向いて坂道をのぼり、無名校を花園の常連に育て上げたのに、そのときは、くるりと後ろを向きたくなった。そうしてしまえば、そこは下り坂。転がり落ちていっても不思議じゃなかった。 重い日々を過ごし、久しぶりに学校に出た日のことだった。誰にも会いたくないな・・・と思いながら校内を歩いていると、廊下に面接練習の順番を待つ3年生の女子生徒たちがいた。事件のことを知らないわけがないのに、屈託のない笑顔で走り寄り、 「先生に面接の練習をしてもらいたかったです」と言った。 「そのとき思ったんです。知りもしない人たちの声ばかり気にしていたな、と。身近にいて応援してくれている人たちのことを忘れちゃいけないと、恥ずかしくなった」 監督は、以前から部員たちに言い続けてきた。目の前のことに全力で取り組もう、と。その言葉をあらためて自分に投げかけてみた。毎日毎日ラグビーとともに生き、我れを見つめる時間など忘れていたが、果たして自分はどうだったか。 練習時間と重なった校務を、面倒に感じていたかもしれない。テストの採点に追われたら、部員にろくな指示も出さず放っていたことも。 「もう一度、原点に戻ろうと。すべての生徒一人ひとりと、あるいはすべての事柄に対して真摯に向かい合おう。あらためてそう決めました。 僕自身がそんな気持ちに戻り、部員一人ひとりと深く関わりあった。それも、シード校に選ばれる力をつけるのに繋がったかもしれません」 これまでの花園で、シード校を破ったり、慌てさせたりしてきた同部。今回はそのアプローチがまったく逆になるが、監督は 「いつものチームと同じ気持ちにさせることが大切」と気を引き締める。このチームの人たちははラグビー坂、人生の坂と、平坦でない道でいろんなことを学び、成長している。そして今回はシード校として、頂点へと続く坂に立つ。鍛え上げた両脚で、思い切り芝を蹴りたい。。なんとまあ・・・。つっこみどころが多すぎてというより全部がつっこみどころ、よくまあ検閲もせず印刷したなと思うけど、逆にこのかたがたのというよりラグビー関係者の物の見方・考え方をじつにストレートに述べておられる点で、非常に貴重な資料ともいえる。・・・沈黙して語らずにいれば、真意はわかりませんからね。この号は永久保存版ですね(悪い意味で)。もちろん、がんばっておられる部員・生徒の皆さんにはなんら落ち度はございません。むしろ、幼い二人は別格としても最大の被害者は生徒の皆さんだと感じます。常識も責任の取りかたも良い悪いの区別もつかないまま、ただ徹底して身内を庇う仲間意識だけを刷り込まれる弊害に暗澹とせざるをえません。・・・これぞまさしくone for all, all for one.・・・って、冗談じゃないよ。(本音と建前はあるにせよ)部活動はあくまで教育の一環なわけですから。学校関係者の大人が全員、どうかしてるとしかいいようがない。従来の環境も推して知るべし(失礼)なのかもしれないけれども、それでも幼い子の命を奪う非道な殺人事件はこれまで学校始まって以来起こらなかったでしょうに。しかも、なんで美談仕立てにしてるの? 悲しい出来事をのりこえてラグビーに邁進する先生! ? ! ?娘が遠くに行った、ふたりの孫を失ったって・・・、知らないものが読めば、まるで事故で幼い子供たちが亡くなり、娘さんが再起不能の重傷を負ったみたいな書き方。実際、この記事を書いたライターにとってはその程度の認識なのでしょうか。学校の関係各位も、このまま事件自体をフェードアウトしてゆくつもりかと見受けられます。1年半近く経つけど、まだ裁判すら始まっていないのに。記事を読むかぎり結局、先生は何ら事件前と変わっておられないようにみえる。「先生、できるだけ娘さんに会いにいってあげてください」と言う人が周囲にひとりでもいてくれればいいのだけど、残念ながら可能性はうすそうだ。このような世間の声に、わずかにでも耳をかたむけてほしいと願うばかり。数年前の記事、わが子の非行まで自分を美化するツールにしてしまうメンタリティーは当時も変わらない。・・・いっぽう、もし彼女がお父さんが奉職する同じ学校に入学して父娘で同じ目標にむけてがんばることができたら現在と何かがちがっていたかも・・・と思えば切なくなる。事件の概要は、ここ。