『ミス・サイゴン』
もう1か月以上たってしまいましたが、東宝の『ミス・サイゴン』観に行く機会に恵まれました。ミス・サイゴン---ウィキペディア私たちが見た回では、ヒロインが笹本玲奈さん、女衒の通称「エンジニア」がダイヤモンド☆ユカイさん、クリスの妻エレンが知念里奈さんという、豪華キャスト(それ以外のかたは芸能にうとくてわかりません、ごめんなさい)。いうまでもなくステージと俳優さんの熱演、音楽は素晴らしかったです。お父さん「お客は上品だが劇は下品だ(感心)」(有名ミュージカルで、演劇ファンらしき年配の観客が多かった)サイゴンの人気風俗店? が舞台で、ベトナム戦争の惨禍で村を焼かれ帰るところを喪った少女キムが生きんがために娼婦に身を落とすという設定から幕が開くのでやむをえないのですが・・・実力のある役者さんたちが娼婦に扮し目のやり場に困るようなあられもないコスチューム(ベティ・ペイジばり?)で猥雑に歌い踊る、すごいプロ根性だなと感嘆するとともに、同じく悲恋や劇的な運命がテーマの舞台でも、つねに清楚で上品で安心してみていられる宝塚歌劇はやはり偉大だなと思ったりしました。お父さん「・・・なんで、キムさんは(自ら)死なないといけなかったのかなあ」だってこれは「蝶々夫人」のお話なんだもの。・・・やあね教養が無いって。いまや伝説となった本田美奈子さんの当たり役。ミュージカルとしては燦然とかがやく名作なのですが・・・みていると、初演1989年という新しさに驚きます。それが本題ではないとはいえあからさまなアジア人蔑視と女性差別。売春宿のナンバーワン娼婦のジジさんはねんごろになった米兵になんとかアメリカに連れて行ってくれと懇願して困らせる。サイゴン陥落後、一党独裁で暗黒国家と化したベトナム、一般の人々は圧政下を耐え忍びながら自由の国・西側・大国アメリカへの憧憬をすてられない。暗黒のベトナムとアメリカン・ドリームの太陽のようなアメリカ。元・売春宿経営者の「エンジニア」は、アメリカ行きのビザを得んがためにキム母子をサポートするとみせかけて切り札に利用しつくそうとする。(脱出先のバンコクでキムとともにキャバレーにやとわれ、客引きをさぼるとオーナーに「混血野郎!」と罵倒され、返す刀で(聞こえないように)「金欠野郎!」と毒づく。「エンジニア」はフランスとの混血という設定(仏領インドシナ時代の出生?)で、この人もまた「戦争の落とし子」だと痛感させられる、「母親は娼婦で幼い俺は客引きをしていた~」と自分語り、キム母子の今後とかさなって観客をぞっとさせる、上手い演出。)なにより、キムにとって越米ハーフのわが子・タムの唯一絶対の幸福は父クリスの母国・アメリカに行くこと。すでに信仰とでもいうべき悲願になっている。世界最強のアメリカに世界で唯一勝利した、アジアの小国ベトナム。誇り高きベトナム人が本作をみてどう感じるかは想像にかたくない(逆に日本国内で「蝶々夫人」がくりかえし上演されてもよろこんでみにゆく日本人は彼らからすれば理解できないかも)、・・・ニューヨークで『ミス・サイゴン』初演の幕があがったときベトナム系の市民が「アオザイを着たベトナム人女性を娼婦のようにみるんじゃない」「ベトナム人を見下すな」とプラカードかかげてデモを行ったのも妥当に思えます。(成美堂刊・「世界の衣生活」より)・・・とはいえ、本作がミュージカルの本場ニューヨークやロンドンはじめ世界各地で、アジア系の女優さんのスターへの登竜門になっているのも一面事実でしょう。名作ミュージカルですが、どうも主人公のキムさんに感情移入できなかった、「戦争で引き裂かれた愛」にも「自分の命とひきかえにわが子を救った母」ともうけとれず、私には駄目でした。薄幸の身の上とはいえ生きるために身体も売ると決意して入店したのに初めての相手である客の米兵と結婚したと思い込んでしまい、子を産んでけなげに彼が迎えに来てくれるのを待っている(でもその間も身すぎ世すぎに女衒とともに娼婦稼業はつづけている)、人民委員会幹部に出世したかつての婚約者が迎えに来てもわが子を守るためという情状酌量があるにせよ護身用に米兵にもらって隠し持っていたピストルで元婚約者を射殺して女衒とバンコクに逃亡。(人民委員会のおえらいさんを殺害したので逮捕されれば死罪?)クリスのバンコク訪問をよろこび、ホテルまでおしかけるが妻のエレンと鉢合わせして悲嘆にくれる。このまま自分がいてはタムがアメリカで幸福にくらすことはかなわないと思いつめ、ピストル自殺。アメリカ人の純朴なアジア人への偏見?ひかえめで一途でアメリカ人男性にとってのみひたすら都合の良い女性、娼婦稼業に身をおとしても純粋さをうしなわず(といえばきこえがいいけれど、要するにプロ意識が無い、自分のポジションを理解していない)自己犠牲に徹する悲運の女性(彼女の自己本位で殺害されたもと婚約者の男はどうよ?幼い子の目前で自殺ふくめて二回も人殺しして、一生のトラウマにならなきゃいいけど。育てるべき子がいるのに自分だけさっさといなくなっちゃうのは無責任すぎない?)。・・・元来頭がよわいうえに自己中心的な女性が無軌道に生きた悲劇の軌跡といえなくもない、かも。このあたり、帰還兵のPTSDに苦しむクリスを献身的に支えキム母子の存在にショックをうけるものの彼のもろさも弱さも理解したうえで変わらぬ愛で包むエレンの器の大きさ、ベトナムの悲惨な現実をも思いやる、外見の美しさや愛情だけでなく頭もちゃんとある女性として描かれているのと明らかな対比(誇り高いベトナム人は怒るだろうなあ)。お父さん「(実際には)ああはならんやろう。・・・現実の話なら、キムは悲しんだ後で自分たち親子の今後の堅実な生活のために、できるだけたくさんとれるようにクリスとエレンさん夫婦に懸命に交渉するやろう」うん、たまにはいいことを言う。「いのちをあげよう」と感動的なこと言いながら幼い子を残してさっさと自殺するような無責任なセンチメンタリズムより、そっちのほうが人としてずっとのぞましい(それじゃドラマにならないといわれればそれまでだが)。『マノン・レスコー』を題材に、舞台を20世紀初頭の仏領インドシナ時代のベトナムにおきかえた宝塚歌劇の『舞音 - MANON』も、機会あれば観たいですね。人気ブログランキングへにほんブログ村