660233 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

こころのお散歩

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Profile

さるすべり123

さるすべり123

Calendar

Freepage List

Favorite Blog

ベートーヴェンの交… やまひで0207さん

3日朝の日記 象さん123さん

雑記 obasan2010さん

やって来ました maria...monicaさん

紀りんの館 紀りんさん
みんなで認知症を治… はらだのりゆきさん

Comments

aki@ Re:星野神父葬儀ミサ(09/27) この様な書込大変失礼致します。日本も当…
さるすべり123@ Re[1]:星野神父葬儀ミサ(09/27) 象さん123さんへ 書き込みありがとうご…
象さん123@ Re:星野神父葬儀ミサ(09/27) 素晴らしい神父様がおられたのですね。 生…
尾村匡昭@ Re:ルドビコ スーハン神父様追悼ミサ(02/06) スーハン神父さまのことが懐かしく思い出…
さるすべり123@ Re[1]:復活の金曜日(04/01) さるすべり9722さん >素敵な祭壇、あかる…
2009.11.01
XML
カテゴリ:カテゴリ未分類
H師の講話ノートより
季節の移り変わりを見ると、いつもさわやかな秋晴れとはいかないが、どんな状況の中にも私たちを生きる方向へ励ましてくれるものがあるのではないかと思えます。子供の頃、暑い盛りの、魚取りや水遊びは生きる力や興味をそそってくれました。
どうにもならないことはあるけれど、生きているっていいなあと。5年前、10年前には感じることができなかったことを感じられるようになってきた。今までのようにいられないことに悲しい思いをすることもありますが、そういう中でよく目をこらせば、生きるためのたくさんヒントを自然や周囲の人が差し出してくれていると思います。

イエスが生きて、私たちに差し出した「愛」について考えてみたいと思います。
『あけぼの』の記事を紹介します。
結婚について
結婚した父母によって生まれている私たち、結婚と無関係な人はいない。結婚したいけどできない20代の若者。結婚は男女の営みだけでなく社会的営みであることを私たちは学んでいる最中。大きな変化が起きている。75年には、30歳から34歳の未婚率男性14.3%、女性7.7%。それが2005年は47.1%、32%。いずれは結婚するつもりという答えは9割で変わりない。結婚したいという気持ちはあるが、結婚できない社会となってきている。
原因のひとつは世代間のずれ。戦後の自由を享受してきた50代以上の世代は、個を重視し、自分で決めなさいという態度。そう言われた男女が、結婚の大切さ、意味が伝えられないまま、とまどっている。結婚したいと思っても、両親を見ても幸せそうにみえない(笑)、あるいはあんなに幸せになれそうにもない、母親みたいにさばけた女の子はいない、母親とつきあうのは気楽だけどそんな女の子みつからない…
就職、結婚、生活形態、何事も自分で決めることが最高だと思いこんでいる上の世代と、そう言われてとまどっている子供世代のずれ。親の世代は日本経済の上昇気流にのり、うまくいった。そのことを忘れて、あなたたちも自分で決めなさいと言う。経済が停滞し、上昇気流がない現在。そういう中で自分で決めなさいというのは厳しい。
最も大きな理由は女性の社会進出。女性が相対的にしっかりしてきた。というのは、女性が社会進出するために努力し、がんばっている度合いが、これまで通りの男性との差。草食系男子が出てくるのは自然の流れ。女性には同世代の男性が頼りなく見えてしまう。父親と比べたら頼りがいがあるのは父親。
親世代の頭の切り替えが必要、夫が妻より稼ぎ、社会的地位が上とは限らない。職業生活が営めないとか、社会生活ができない人との結婚を勧めるわけではないが、社会福祉的な仕事についている男性と銀行員の女性が、二人が力を合わせてやっていくのは当たり前のこと。それなのにシンデレラのように王子様を求める人がいる。社会を構成する親世代の大人たちが、これが当然というところを変化させる愛がないと、愛は次の世代にバトンタッチされない。周囲の大人たちが愛の人にならないとだめ。社会を構成し、力を持っている人たちの価値観、考え方によって若い世代は幸せになったり不幸になったりする。たとえば戦時中、軍の幼年学校へ志願した大勢の子供たち。そういう考え方を植え付けたのは当時の大人たちだった。
結婚についても、大人たちの考え方が変わらないと若い人たちは十全な幸せをみつけることができない。社会制度を変えることは簡単ではないが、皆さんの思い=愛を成長させることによって、この社会を愛にあふれたものにしていく。一人でも多くの若い男女が社会的に責任を持つ結婚、愛をもって次の世代を育てていく結婚、
若者たちは時代、社会の価値観に強く巻き込まれている。人間は常に自分自身が承認されたいという欲求があるから。同世代だけでなく、社会を構成する大人たちに承認されたいと思って生きている。

イエスが生き、私たちに望んだ愛を9つの項目で話します。愛の方向性を示していますし、皆さんが生きてきた中でこういう愛にであえて良かったと思うことが9つの中に必ずあるでしょう。目指す目標として聞くより、人生の中に愛がどれほどあったか振り返る意味で聞いてください。
1実践的である愛
愛はどういうものか。愛の定義を、なさった。いつも生きていく姿の中に愛がある。良きサマリア人のたとえで、イエスはこれが愛の定義とおっしゃったのではなく、あなたも行ってそうしなさい、そうすればあなたは愛の中を生きることになる。どんな小さなことでも実践的な愛を勧めている。

2痛んだり損すると感じても愛する愛
人間の中に組み込まれている、痛みや損得を越えるまでに愛そうとする愛は、あなたの中にある、あなたはすでにそういう愛に必ず出会っている。そういう愛に愛されたから、人は成人まで成長できる。わたしはこういう風に愛されなかった、私の親や夫はひどい人だったと、そう思ってもいい、でもあなたが50年生きてきて出会ったのはその人たちだけですか。自分の人生を振り返ってみると、痛みや損得を越えるまで愛そうとしてくれた愛にであっているはず。
欠点だらけのひどい母親であっても、あなたが立派に成人式を迎え今日まで生きてこられた。
3イエスが望んだ愛は輪を広げていく愛
自分と一番大好きな人との間で閉じられている愛ではない。不倫は閉じられているが、結婚は愛し合う男女の中で閉じられていない、子供へ、両方の家族へ、地域へ、社会的に開かれている。愛=結婚だけでなく、教会内での何かのグループ。仲良しばかり呼び込んで派閥を作るという政党みたいなものではなく、いろいろな人が入っていける開かれているものでなければ。
開かれていく愛、実は愛はもっともっと豊かになる。結婚して半年くらいたって僕が司式したご夫婦が自宅に招いてくださった。若奥さんが今まで二人で新婚旅行、新生活を楽しんできたけど、お客様を招いてともに幸せを喜び分かち合うことでもっと幸せになったといった。愛は広げていくほど、もっと豊かになる特別の性格をもっている。他のものは分けると減るけど愛は違う。

隣人とは、あなたを必要としている人。
隣人とは、あなたが今そこに立っていて、今あなたを必要とする人だとイエスはおっしゃった。
あなたを求めている人によってあなたの愛の能力はひきだされる。あなたが愛されたいと思う人によって、あなたの愛がひきだされることはほとんどない。

5尊敬にみちている愛
尊敬、先生が生徒から尊敬されるように強い者が弱い者から尊敬を受ける。それだけではない。
働きやすい上司の特徴、自分より下の者を尊敬している。何ができるからではなく、そこにいることを尊敬してくれている。そういう人は良いところを見つけるのが上手、失敗して叱られても、自分を否定されていないので怖くない、受け入れられる。
イエスはなぜ弱い立場の人、罪を犯した人、悪人とレッテルを貼られている人を大切にしたのか。イエスの心にあわれみがいっぱいだったから。そのあわれみは相手がかわいそう、無能な者だから助けるというのではなく、あわれみの深いところにどんな弱者であろうと罪人であろうと、悪人といわれる人であろうとその人に対して尊敬があった。その尊敬の心から何かしなければと思った行為が、受けた側からみれば憐れみであった。私はこんなにだめ人間なのに、だけどイエスの側からみるとだめだからしたのではなく、その人を尊敬していた。だから何か力を貸してあげたいと思った。尊敬から出てくる行為が受けた側から見ると慈悲の心、憐れみの心。愛するというより尊敬する心という方が近い

6,私が人を助ける喜びをみいだすことが目的ではなく、その人が助かって喜びを見いだすことが目的
愛することによって、私が喜びの人になることではない。その人が助かって喜びをみいだす、
赤ちゃんのお母さんは、この子を育てる喜びを見いだすために育てるのではない。この子が育って喜んで生きていくためである。助けてあげたという自己満足を目的にしない。
転んだ人を助けることは大事、だが問題の原因と解決のための努力をあなたがすることはもっと大切。
貧しい国の人に1匹の魚を差し出す、貧しい人はこれで1日の飢えをしのげると感謝する。でも、竿と釣りの技術を教えてくれたらあなたがこの貧しい地を去っても私たちは毎日魚を食べることができる。毎日あなたのことを感謝するだろう。転んでいる人を助けるのは大事だけど、その問題がどこにあるか、その解決のために自分のできる努力をはじめることは自己満足からでていくこと
7愛は無償である
愛は常に愛を受ける権利があるわけではない。
カトリックの聖人が私は常に愛の物乞いですといった。私の方にどういう関係でも愛を命じる権利はない。
愛は常に無償である。愛をどういう風な報いを与えるか、薔薇を差し出す手には薔薇の香りが残る。これだけが報いでこれ以上を期待してはだめ、ご主人からあなたほどよい妻はいないと言って死んで言ってもらおうなんて期待するのはだめ。一緒に生きた数十年がある、最後の言葉はどうだって良いこと。あなたが愛したことによってあなたが変えられていったあなたの人格が薔薇の香りとしてあなたに残る。どうせ何も返ってこないからと愛さないで過ごした数十年、あなたはどういう人になってますか。受け取ってくれたかどうか分からない相手であっても時間、人生、誠実さをさいたことがあなたに薔薇の香りが残る。愛に報いがあるとすれば最高の報いです。
8愛が挫折したとき
あなたが自分の心が忠実であった、その忠実さは消えない、あなたが人を大切にしたことも消えてなくならない。これが愛した時の唯一の慰め、これも薔薇の香りとしてあなたに残る。
もう一つのプレゼントは反省する材料、学ぶきっかけを得たこと。
私は他者の立場から見ていただろうか。
恋人同士だけでない。あなたがあるグループ、チームを愛し、グループのために尽くした。自分が他者からしてほしくないことをしないこと。
自分中心から出て行くチャンス。親子、企業、社会的集まり何であっても、相手が何を言ったかではなく、相手が何を言いたかったか聞こうとしたか。もし相手が何を言いたかったか理解しようとしなかったら私は子供っぽかったなと反省。言った、言わないではなく、気持ちが受け取れなかった。
受け入れられる、愛されるというのは権利ではなく、相手からの贈り物。そのことだけに執着しない。
9イザヤ書、神は折れかかった茎を折る方ではない、消えかかった灯火をふき消す方ではない
自分の論理が正しいからといっても、茎を切り落としてしまったら相手に時間を与えないという間違いをおかしてしまう。大事に待ってみる。放蕩息子の話を思い出してみる。50歳の時息子が出て行って、80歳になって帰ってきた。30年間も息子に時間を与えた。
手放してみる。

イエスが私たちに望んだ愛を生きることによって、私たち自身は幸せの方へむかっていくし、同時にそのように生きている人がいることによって、本物の愛は何なのかを若い人が皆さんのまなざしを通して知る。
若い人が結婚したいけど結婚できないでいる愛が枯れた社会の中で私たちができる最高の行為である
皆さんそれぞれに生きている、小さなささやかな愛がおかれている、愛を見つける名人になってください。自分の状況がすぐに変わることはなくても愛にふれることによって私たちは変えられていく、ささやかな愛にふれることによってあなたが愛の発信者になっていけることはすばらしいこと。私たちがこのことで幸せになりたいと限定せず、もっと自由な気持ちで身近なことに目をこらして、受け入れていくとすばらしい成長をする、結果的にあなたの人生は好転していく。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2009.11.01 15:19:19
コメント(0) | コメントを書く



© Rakuten Group, Inc.
X