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H神父様の講座に参加しました。
ルツ記を題材に今回のテーマは「自立」。 私の心に響いた部分をまとめたノートです。 ーー 今日本はひとつの喪失の時、過ぎこしの時。 日本だけでなく、世界の秩序、経済的秩序も破綻があちこちにある。 グローバリゼーションが進んだ世界で、先行きが見えず、辛い思いをしている人もいる。 ルツ記、1章22節から. ルツとナオミは自分の国に帰っても、生活基盤はなく、社会福祉もなく、順調とはいえない。 「落ち穂拾い」刈り取った後、地に落ちた穂は、誰のものでもなく、誰でも持って行って良いというのが、聖書(神の律法)。入会地のように、村人ならば誰でも入ることができるという村落共同体のきまりではなく、神の望み(律法)として 異国人であっても糧を必要とする人は落ち穂を拾うことができた。 今日のテーマは「自立」 ルツたちは落ち穂拾いから生活が始まった。 一人の女性が自立していく場面。 自立すると決心、決意するときに真実一人のペルソナとなる。 逆に自立を決心しないと一人のペルソナになれない。 誰かのご機嫌次第でできたり、できなかったりというのは自立していない。ナオミが行けといったのではなく、ルツが自分で言い出した。 ルツの「自立」への歩み。ナオミについていくと決めたことによって、変えられた。どこかによりかからない、後ろ盾もない彼女の旅。一人のペルソナになり、精神的に成熟した女性になった。 「自立」と「孤立」とは違う。 ナオミとルツは連帯していた。 相手が10働いたから、自分は12働く。相手が8だから自分は9働けばいいーこれは「自立」ではなく、相手に支配されている状態。お互い自分のできる精一杯働き、助け合う。 外国から帰ったナオミとルツは「自立」するしかなかった。重い足取りで自立したのではない。自分たちの計画した、あたりまえの幸せができなかった人たちが自分で生きていこうという気持ちを持った。 たとえ高収入を得ていても、自分で生きて行く気がない人もいる。 組織の中であっても、自分が何ができるか探す。「自立」するとはどういうことかルツ記は教えている。恨み言を言わず、自分から畑に行ってみますといったルツ。 私たちは自分の家、両親、地域社会、組織などの大勢の人に借りがある。でも、自分自身の管理人になりたいという心は捨ててはいけない。 自分の人生の設計者は自分。もし、あなたが老人ホームに入っても、あなたの人生の設計者はあなた。たとえ車いすを押してくれるのが誰であっても。 子供の自然な「自立」のエネルギ→体の成長、反抗期。 「自立」へのエネルギーが成熟のためにつかっているかどうか検証する必要がある。 嫌なこと、困難、悩みがあっても生き生きと取り組んでいけてるかどうか。 「自立」しているから、嫌なことから逃げるというのは、「自立」といっても低レベル。 たとえば子供に勉強をするチャンスを大切にという声かけ。言葉がけは大切。その子が四〇歳になった時に本当だなとわかる、今言っておくことは大事。 「自立」とは、自分の好きな世界を作ることが大事ではない。自分の望み通り自分に何かを引き寄せるというのは動物的。 「自立」は神学的真理。ペルソナとなるべく絶対的責任があるという自覚。 自分が思ってもみない事態に出会った時にもその事態に責任を持つのがペルソナ。機械にはできないこと。ヨブの姿。 ペルソナをあずかってきた責任を果たしたいという熱意。 「自立」の二つの側面 1.自分自身を他者にどうみせるか 2.自分自身を自分でどうみるか 行きすぎた自立ー自己絶対化、自分自身を神にする。自立しているように見えるが、周囲を全員抑圧する。これはペルソナをあずけた神の望みではない。 過剰な依存ー永遠に幼稚なまま。むずかしい課題に挑戦することが私たちにふさわしい。 自立していないのに自立した気でいる。 「畑に行ってみます」 成熟した人にしか出て来ない言葉。ルツはナオミに褒められたくて言ったのはない。 長い時間をかけて私たちは自立。二十歳だから、結婚したら自立とはいえない。難しい課題を背負いつつ、自分自身を大切にし、神からいただいた良心に対するセンスをもって生きる。 自立に含まれる自己管理、自分自身を生き生きと生きる努力をする 西洋はキリスト教を土台(人間をみるまなざし)として発展。 自立し、連帯する「愛」 拡張的家族制度の中で寄り合うのと意識が違う ルツも長い辛い旅をとおってここまできた。 「自立」したペルソナとなる時、自由と責任という問題が現れる。 自由の方が大きかったら間違い。 責任という土壌があって自由が芽生えてくる。 たとえば社長になったら、何でも出来る、自由だというのではない。責任が重いことを自覚しつつ自由に行動する。責任の方が大きく、責任を感じている人のところに自由が与えられる。 ルツは畑へ行くと決めて出かけた。一粒一粒拾ったものが自分の姑の糧。日が落ちるまで太陽と競争、休むと収穫が減る。他の人もいる。社会と直面。ルツはある意味成功。 自分で生きていける女性となった、姑ナオミの喜びにもなった。神の御前に自分自身を置いている。 ルツは神の祝福を受けていないように見えるが、ダビデを産む家系につながる。ルツー息子ーエッサイーダビデーイエスへ。 神との関係を見た時も 洗礼を受けたとき、毎日ミサへ熱心に通うーいきおいにのっているだけ。 難の味わいも喜びも感じられないし、よく来たと誰も褒めてくれないけど、行かなくちゃと意志の力で主日ミサにあずかる。このことの方がすごいこと。 ほんとうの「自立」。ほんの少数の人しか達することができない魂の自立。 目覚めていなさいと主は言われる。 頑張っていなさい、無理しなさいではない。 自立すると言うことは難しいことを知りつつ、生きる。自立していく中に誘惑もある。自分の裁量で動いたり、働いていい、つねに安全でいたい、他人に干渉されたくない、奉仕されたい→「してもらっていい…しなくたって良い」 こういう言葉が私の中から飛び出す、 私は逃げた。ーこのことに気づく。気づかないと自立していない人となる。 あることから自分は逃げた。そうしたら誰かがやってくれた、誰かが補ってくれた、ありがたいことだとみる。 最後に東日本大震災で被災した中学生の卒業式での感動的な答辞を紹介。 今までと違った形で自立していこうという若者の姿。 東日本大震災への対応ー文部科学省白書 で答辞全文がcolomn3で紹介されています。 「生かされた者として、顔を上げ、常に思いやりの心を持ち、強く、正しく、たくましく生きていかなければなりません。 苦境にあっても、天を恨まず、運命に耐え、助け合って生きていくことが、これからの私たちの使命です。」 天を恨まないと決心した。前に向かって生きるということ。 自分の思い通りにならないこと(容姿、頭の良さ)どうして私だけがこんな辛い嫌なことをと思うー天を恨んでいる 嫌なこと、矛盾したこと、いろいろなことが起きてくる人生 『あたりまえ』私たちの力をこえている、作れないこと 『自立』も神の業。時が熟したとき「畑に行ってみます」 十字架の神秘 人は今までどおりに何かが出来ないときに「自立」する 神の神秘と十字架の神秘は重なる お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.11.27 17:10:30
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