山根先生ー井上神父『福音書を読む旅』による聖書講座
井上神父『福音書をよむ旅』はNHKラジオ講座のテキストで、1冊にして出版されるとき、短くするために「無理解な弟子達」の章が省かれました。政治的解放者であるメシアを待望していた人々や弟子達はイエスを政治的王.上からの力、武力によって世界を変えるメシアだと期待していました。最後の晩餐のときまで弟子達の誰かえらいかという議論は,イエスは王で、重要な地位、大臣は誰か。これがイエスと一緒に過ごした生前の弟子達の姿です。私達と同じく俗物的でイエスが何を一番大切にしたか無理解でした。上に立つ者、本当にえらい者は仕える者となりなさいとイエスは教えました。「支配を委ねる」という聖書の言葉も権力によって,上から支配するのではなく.愛によって下から支えるという意味です。カトリックのヒエラルキーはヨハネパウロ2世の葬儀,コンクラーベの報道で理解が広まりましたが、「上に立つ者が一番仕えるものである」教皇はすべての人に仕えるものという意味はあまり伝わっていません。イエスは弟子達の足を洗うという自分の態度で、弟子達に何が大事かを示しました.汚れた足を洗うのは召使いでさえしない、奴隷の仕事です。一番低い人の行為を最後の別れの時に行い「この上なく愛し抜かれたのです」,自分の体すべてで愛を示したのです。イエスは弟子達でさえ、教えが生きている間に伝わらないことを覚悟しています。実際弟子達は分かっていませんでした。キリスト教は不思議です.普通は師が生きている間に弟子達に教えを伝え、広めるのものです。一番汚いところを私に出しなさい.私がそこにふれることで私との絆ができますとイエスは言ってます。これが洗足です。足を洗われた時ペトロは恐縮するばかりだったでしょう。イエスの死後、この時のことを思い出し、自分の汚い部分にふれて清めてくれた、一番下の人がする仕事をしてくれた,あの行為は極みまでの愛でイエスが自分たちを愛してくれたのだ,と追想の中で内なる喜びがわいてきたでしょう。血とホコリで汚れた足を踏み絵の上におろす喜びー『沈黙』の最後の部分です。汚しながら喜ぶーこの部分は評論家に近親相姦的だとか、いろいろ解釈されてきました.汚れた足をイエスに受けとめてもらう「喜び」。ロドリゴの5年後の追想の中で喜びがでてきます。踏み絵を踏んだ時は足の痛みだけでした。キリストが愛によって自分を受けとめてくれたということをあとから思い出したのです。イエスは「互いに足を洗いあいなさい」と教えます。互いにお互い醜い部分にかかわっていきなさい。醜い部分にふれて絆がうまれるのです。醜い部分には関わりたくない、あるいは相手を責めたり裁いたりしてしまうのが普通です。洗足はお互いのそういう部分も受け入れ大切にする「愛」を教える象徴的行為です。イエスのイメージはローマ公認後、政治的王の権威を高めるために、さらに上の高い権威ある姿となりました。イエスの言う人々に仕える者、自らを捧げる生き方という王のイメージが失われしまいました。ヨハネパウロ2世が人々、平和,人権のために奉仕する姿は本来の王,上に立つ者の姿というものです。最後の晩餐で弟子の足を洗いミサを制定するイエス。なんと深い愛と思うのに、ユダだけが冷たく取り扱われていると聖書を読むとひっかかります。裏切ることが分かっていてなぜ弟子にしたのか、イエスに失望し去っていった人は大勢いたのに、なぜ会計の大役を.福音書のイエスはユダに冷たく、イエスの愛から除外されています。弟子達も皆イエスを裏切り見捨てたのに。福音書が書かれた時には、弟子達の中で自分の罪の大きさに首をつって死んだユダだけがいなかったため、ユダが悪いとなりやすい状況でした。福音書自体、旧約によって根拠づけられているので旧約に描かれた裏切り者の存在が必要でした。実際のユダがどのような人物であったかはわかりません。新興宗教であったキリスト教は当時ローマでも認められていたユダヤ教の旧約の権威づけが必要でした。旧約による根拠づけの重要性は、「わが師イエスの生涯」でも詳しく書かれています。その後の歴史でユダがずっと差別され嫌われることが分かっていたので、イエスはかわいそうにと思って「生まれてこなければ良かった」と言ったのか、あるいはその言葉も言わなかった可能性もあります。『その前日』という遠藤さんの小説で生死をかけた大手術の前日,井上神父との話でユダへのこだわりが語られます。「しようとすることをするがいい」にはユダの苦しみも分かっていての言葉で、イエスの極みの愛にはユダも入っているというのが遠藤さんの解釈です.