十年以上前から、レジ袋などは出来るだけ貰わず、持参の袋に入れるようにしている。面倒になったりして受け取る事もあるが。
これは当時、万引きをしているように見られた。本屋等、店員に後を付いて廻られたものだ。
その本屋は、今はもう消えたが。
箸を持参し、割り箸を使わない様にしていた。
これは、出身高校の文化祭においての生徒の研究発表で、間伐材を使っている為むしろ割り箸を使った方が森林の手入れ費用的に助かると知り、止めた。
最近は中国からの輸入ばかりで環境的にもまずいらしいので、再度箸持参を考えている。
エコ関係のテレビコマーシャルで、何もしなかったから加害者だという事を言っている。
小学校の国語か道徳かでやった「子犬が虐められているのを見て何もしないのは、虐めているのと同じだ。」という話と同じだ。
大学の教育関係の講義で、この話に関して「犬の色は何か」と教員が(誰が教授等と言ってやるものか。)質問をした。なんて下らない事をと思ったものだ。こんな教員が「教育のための教育」をしているのだ。く だ ら な い。
もしかしたら「くだらない。」と答えて欲しかったのか?「他の犬の色と違うために虐められた。」とでも答えて欲しかったのか?
いずれにしても主題とは違う、枝葉末節でさえない事だ。連想してあれこれ考えると言う事では、「あり」なのかもしれないが。
こうしたら、より良いだろう、と考え実行しても、そう考えない人には異常にしか見えない。
パターンで生きている人には、パターンよりも良いと考えられる事をしている人は、おかしさの対象でしかないらしい。
土佐弁に「いごっそう」という言葉がある。これは、哲学を持っての生き様を、その哲学を理解できない連中が、ある意味「卑しべて(やしべて)」言っているものでもある。
もっとも、その「より良いと考えられる事。」が、的を射ていなかったら、ただのアホだけど。(自嘲
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