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カテゴリ:映画・テレビ
夕べ、過去のアメリカTVドラマについての番組で、日本での放送に関してタダでアメリカは映像を提供したとあった。
思えば子どもの頃、いろいろな西部劇、家庭ドラマなど、ほとんど毎日アメリカンドラマを観て居た様に思う。 宇宙大作戦(スタートレック)、奥様は魔女、ナニー(大好きだった)、刑事コロンボ、警部マックロード(だっけ?)などなどなどなど・・・ サンダーバードやキャプテンスカーレットはイギリスか・・・ なぜだかわかるだろうか? 悪い言い方になってしまうが、それは洗脳のためだ。 しかし、もっと現実的であろう言い方をするならば、それは「お互いを理解する第一歩以前の、まず面と向かうが為」だと言って良いのではなかろうか。 ランサムの作品の中に、「争うにしろ、遊ぶにしろ、まずお互いを知らなければ」という内容の一説がある。まずは立ち上がり、向かい合って名乗り合い、互いを知らなければ、遊ぶ事も何も出来ないのだ。戦争ごっこさえも。 大好きだったアメリカンドラマ・・・思うと切なくなる。ほんとにナニーは好きだった。 アメリカの生活様式云々等どうでもよかった。でかい冷蔵庫?電化家具の宣伝?パン食の促進?そんなの関係ない。話自体が好きだった。 公園を掃除し、誰が操作しようとしても反応が無かった水道栓をナニーが動かすと水が出て、なぜ?と驚く子どもたちに、「今まで愛情を込めて動かした人がいなかったからじゃないかしら?」と言った所なんか覚えている。子ども心に、魔法をごまかしたな、と思ったものだったが。(笑) そんなドラマをどんどん日本に提供し、アメリカを「慣れたもの」とすることで、その何十年後である今の心の平和を為したのだと言えるのではなかろうか。 それは洗脳と言える事でもあるが、そんな悪意ある表現や意図は、もうどうでもよい。 互いを「心を持つ人間」としっかりと認識する、地味な気の長い握手を提供してくれたのだ。 たとえ其の本来の目的が、金もうけなどにあったのだとしても。 いろいろな商品の日本への販売、日本のアメリカ化、などに限らず、どす黒いこともあったのだろう。 しかし、その結果はどうだろうか。互いの文化を知ることで、互いを無闇に批判し合ったり殴り合ったりする気持ちは薄れたのではないか? 欲やらなにやら、腹の底には確かにいろいろ謀があっただろうが、その末であり今現在である「何十年後」に何がどうなっているのか? 互いをそれなりに知り、尊重できるようになったのではないだろうか? 好きな笑顔を持つ人を、殴る事が出来るだろうか? 好きな本を出した国を、滅ぼす事が出来るだろうか? 好きな絵を描く人が居る国を、滅ぼす事が出来るだろうか? わたしにはできない。 世の中には色々な人が居るから、好きな人を殺す事を是とする訳の解らないのも居るだろうが、普通はできないだろう。 国家間のややこしく鬱陶しくええかげんにせいやー!と言いたくなる有象無象もあるから国策的に下らない事が行われもするが、普通はできない。 それが情。 情に流されてはいけないとは、良く言われる事。しかし、ほんとうにそうだろうか?理屈や損得を見るだけの理性に、それほどの価値があるのだろうか? 情の為に理性はあり、理性があるために情はより良く生きる事ができる。 情のない所に理屈や理性があっても無意味なのです。 欲得づくでなされたのかもしれない文化活動(宣伝)が、結果的には平和の基礎の基礎の基礎の更に基礎の種を撒く事となり、それが何十年後の今、それなりに育っている。 文化と言うモノの地道な活動を、感動と共に感じる。 多くの日本アニメが、多くの外国素人翻訳家によって意欲的に広められているのを見て。(法的には色々と問題はあるだろうけれど・・・) これもまた、何十年後の平和の種となるのだろう。まこと、文化とは恐ろしくも楽しく頼もしいものだ。旧来の文化も勿論のこと。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年11月17日 10時22分57秒
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