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カテゴリ:旅・ぐるめ
皆さん、こんばんわ☆
三連休はいかがお過ごしでしたか? もしかしたら、連休中もお仕事という人も多かったかもしれませんね・・・。 私は、2月11日から始まった、愛知県足助町の『中馬(ちゅうま)のおひなさん』を見に行きました~♪ 足助町は、あの世界のトヨタ自動車本社がある豊田市と隣接する場所にあるんですけど、長野や岐阜の県境も近いからでしょうか・・・そんなことが想像できないほど自然豊かで・・・山間に流れる足助川沿いに、江戸時代からの古い家が立ち並ぶ、それはそれは、歴史豊かな風情のある町なんです。 そんな足助町で2月11日から3月6日まで開かれている『中馬のおひなさん』という、町をあげてのお祭りに行ってきた訳ですが、ここで疑問に思ったのが、「中馬って何だ?」って事です。 そこで、足助観光協会から出版されている『新・三州足助』というガイドブックを見てみると・・・ もともと、足助町は、古くから太平洋側と信州とを結ぶ交通の拠点として栄えた町だったそうです。 名古屋から足助経由で、長野県の塩尻(諏訪湖畔)を結ぶ「伊那(伊奈)街道」は、縄文時代から諏訪湖周辺に出土する黒曜石を運んだり、戦国時代には、武田信玄を始めとする各地の戦国武将たちが通ったりして、中山道に次ぐ街道として重要な役割を果たしていたんですね。 また、古くから、愛知県の吉良町周辺作られた塩を、この伊奈街道を通じて信州へ、信州からは年貢米・たばこ・山の産物などを馬などに積んで運んでいたのですが、足助は、これら運搬物資を積み替える、中継地点の場所でもありました。 そして、一般的に、この街道で物資の運搬に関わる人たちを「中馬(ちゅうま)」と呼んだそうですが、その語源は、「賃馬」「中継馬」とも言われています。 明治時代には、年間約2万俵を越える塩が、足助の塩問屋に入り、信州に運ばれていったそうで、これらの大量の塩を運ぶ馬の数も、年間、延べ5千頭だったということですから、いかに、この足助が物資を運ぶ宿場町として栄えていたかがわかりますよね~。 (だから、中馬街道と言われていたんだね・・・) そのせいでしょうか・・・山間の田舎町であるにもかかわらず、足助には、非常に裕福な家が多いような気がするのは・・・。 (明治、昭和初期のおひなさん) (京都式のおひなさん、雄雛と雌雛の並び方が逆になっています。) こういった段飾りのお雛様は、元々、公家や武家の家にだけ飾られていたそうで、一般の庶民は、お人形さんから集めていったらしいんですね。 (今が旬の、牛若丸と弁慶です!) そして、明治以降は、一般の家庭でも、第一子が生まれると、男の子でも女の子でも、母親の実家から豪勢な雛人形が贈られてきたそうです。 しかし・・・現代では、雛人形を飾る家も少なくなり、これだけ大量の人形は家の中を圧迫する存在としてしか見られなくなりました・・・。 そこで、平成8年ごろから、足助町の商店・一般家庭が一斉に、これらのお雛様を飾って、観光客の皆さんに見ていただこうというイベントが始められ、年々、その知名度は上がり、去年は100軒以上もの御宅で雛人形が飾られ、観光客も7万人を越えるまでになったとか? (賑わいを見せる、中馬のおひなさん) (花もちの手作り体験をする子供さん) また、足助をこよなく愛するアーティストの「からさわてるふみ」さんの手作りのおひなさんも、このお祭りに一層彩りを添えています。 (もう、めちゃくちゃ可愛いんです!) (からさわてるふみさんによる、お人形の制作実演!) あんまりにも可愛らしかったので、早速、からさわさんのおひなさんを購入させていただきました! 「お写真、撮らせて頂いてもいいですか?」とお伺いすると、 照れくさそうに、「どうぞ!」と言いながら色づけをしておられました・・・帰り際も、「帰り道はお気をつけてくださいね~!」との一言が!めっちゃ嬉しかったですね~。 この方は、銀座の三越などでも個展を開かれたこともあるそうで、もしかしたら、そのうち偉大な「画伯」ってことになって、気軽にお声をかけることも出来なくなってしまうかもしれません・・・。 ****************************** そんなこんなで、楽しんでまいりました~! あまりにも楽しかったので、また来週あたりにでも行って来ようと思ってます! (次回は、足助のグルメでも、書こうかしら?) 人気blogランキング よかったら、クリックして下さいね~! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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