|
カテゴリ:旅・ぐるめ
皆様、こんにちわ☆
昨日のバーレーン戦見ました? あれ・・・なんでしょう?オウンゴール・・・?自殺点!? 得点者の名前が、サルミーンだって・・・ もう、彼は、日本に帰化するしかありませんね。 ところで、デジカメが壊れる夢を見ました・・・。 シャッターが切れないんです・・・ かなり、うなされました・・・。 ・・・って、これじゃあウラぷーたろになっちゃうじゃないかぁ~!! と、つまらないことを書いてしまいましたが、まあ、そのくらい、今の私にとって、デジカメというのは、自分の一部というか、かなり大切な存在になってきているんですね~。 出かける時も、もちろん欠かせません。これがなかったら、何の為に出かけているのか分からないくらいです。たまに、バッテリーが入ってなかったとか、SDカードを忘れた~!・・・って事もありますが、そんな時は、かなりテンションが下がります・・・。 昔は、旅そのものを楽しんでいたけれど・・・今は、記憶でなく記録で残す・・・そんな時代なのでしょうね~。 そんなデジカメ君の醍醐味を発揮する機会が、またまた訪れました。 愛知県蒲郡市で開催された『春まつり』の目玉でもある、『東三河遠州 手筒花火競演』です。 これはスゴイです!初めて見ましたけど、もう、度肝を抜かれました・・・。 5~6人の若い男性達が一斉に並び、火薬の入った大きな筒を抱えているんです・・・。 筒から吹き出る火柱は、高さ10メートル・・・いや、それ以上でしょうか? はっきり言って・・・命知らずな行為です。 ただ炎が噴出するだけでも見ごたえがありますが、なんと言っても、手筒花火の醍醐味は最後に、轟音と共に、筒の下が爆裂することでしょう。 この爆裂を、ハネと呼んでいます。 ここまで来ると、ほとんどホラーです・・・。 この手筒花火は、花火師が放揚者であり、自分の打ち上げる花火を自身で制作し、火薬も詰めるのだそうです。 火薬を詰める竹を自分で切り取り、竹を火で炙って油分を抜き、縄を巻きます。 そして、火薬をその中に詰め込みますが、隙間が開くと爆発しますので、それはそれは慎重に作業が行われます。 自分自身の命が、この作業にかかっているといっても過言ではないでしょう。 こんな命知らずな男達が、夜空の下競い合う三河手筒花火大会は、450年もの歴史を持つ、まさに花火の原点であります。 もちろん!江戸発祥の「たまや~!かぎや~!」の打ち上げ花火よりも、100年以上前から存在している訳です! この手筒花火は、日本でも、愛知県東部の三河地方、もしくは、静岡県西部の遠州地方のみでしか行われていないそうです。 三河地方は、徳川家康の生まれ故郷でもあるため、江戸時代以降も、家康の鉄砲隊の子孫に特別に火薬の使用が認められ、観賞用花火の生産が盛んに行われてきた場所でもあるのです。 もし、皆さんの地域で、このようなお祭りがあるとしたら、それは、三河・遠州の方々が出張で行かれてるんだと思いますよ! その起源は、戦国時代の、のろしが大きくなった物が原点とも言われていますが、火薬自体は、鉄砲の伝来と同時に入ってきたものと思われます。 愛知県豊橋市の吉田神社がその発祥の地と言われ、吉田神社に残る記録「三河国古老伝」に 「永禄元年(1558)天王祭礼祀ノ花火ト云フ事始メル」又 「吉田神社略記」に「花火ノ創始ハ羽田吉田綜録ニ永禄三申庚(1560)今川義元公吉田城城代大原肥前守知尚公花火ヲ始ムトアリ ・・・つまり、1560年ごろに、あの家康を人質に囚えていた今川氏が花火を始めたということです。 そして、現在のような巨大な火柱が立つ手筒花火になったのは、正徳元年(1711)と書いてあります。 主に、五穀豊穣、無病息災 家運隆盛 武運長久を祈る物だったそうです。 そして、若者の手造ということで、大人への門出、そして、勇気の証しを示す物として、子々孫々に連綿と伝えられてきました。これは、もはや、三河・遠州地方が誇る、独自の文化と言っていいでしょう。 まさに、勇敢な三河武士発祥の地だけあります。これぞ、男の心意気!ですね。 ほら・・・モリゾーとキッコロも応援しているよ! 人気blogランキング お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[旅・ぐるめ] カテゴリの最新記事
|
|