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カテゴリ:旅・ぐるめ
皆様、こんばんわ☆
お元気でお過ごしでしょうか? 私は、不甲斐無くも、風邪を引いてしまいました・・・! ここ数年、風邪と言う物に縁がなかったので、すっかり油断していたのかも・・・。 ちょっと熱っぽいので、何かヘンなことを書いてしまうかもしれませんが、その時は、笑って受け流して下さいね! 今回のテーマは、東海道五十三次を訪ねる旅!御油(ごゆ)~赤坂宿です。 場所は、東名高速道路、音羽・蒲郡を降りて豊川方面に2キロ程向かったところ、電車でしたら、名古屋鉄道の名電赤坂駅か、もしくは御油駅になります。 詳しい地図は、ここをクリックしてくださいね! 地図をご覧になるとお分かりかと思いますが、御油と赤坂は、松並木を挟んで、非常に近い位置にあります。その距離、16町(約1.7km)で、東海道で最も短い宿場町となっています。 まず、御油(ごゆ)宿ですが、ここは、前回の日記でも書いた、桜並木のとても美しい場所でもありますが、地元の人以外、あまり知られていないような気がします・・・。 (ホント・・・もったいないなあ・・・でも、人がいないほうが風情があっていいかも?) 最初は、御油の、松並木資料館で、当時の宿場町の様子を調べる事にしましょう! 今は、すっかり寂れてしまった御油ではありますが、当時は、大名行列のお殿様や後家来衆の宿泊所として使用された本陣・脇本陣や、一般の旅籠が63件もあったそうです。 そこでは、飯盛女と呼ばれる女郎衆が大勢生活していたり、東海道の顔役でもあった「駿河屋源六」が、身寄りのない子供達を引き取って育て、体の弱い人に医者を世話するなど、人情味溢れる江戸の賑やかな宿場町の風情が漂っていたのだとか・・・。 また、御油では、参勤交代のお殿様の荷物を運んだり、旅人達の駕籠や馬に乗せるために、人馬を無償で提供する、『助郷(すけごう)』の村にも指定されていました。 農業で忙しい村の馬も、差し出さなくてはならなかったのですから、それはそれは、はた迷惑な制度だったと思いますね・・・。 (それが、地域の農業を衰退させてしまった理由とも言われています・・・) 資料館を出て、御油の宿場町をしばらく歩いていくと、松並木が現れます。 う~ん・・・これこそ、東海道の風情満点です! この600メートルも続く松並木は、慶長9年(1604年)に植えられたもので、地元の人たちに大切に保存されてきたそうです。 この「御油の松並木」にちなんだお話が、弥次さん、喜多さんでおなじみの、十辺舎一九著『東海道中膝栗毛』に出てきます。 伊勢参りを目指した二人が、吉田宿(愛知県豊橋市)を通過し、夕闇も迫ってきた頃、 喜多さんが、「夕べの宿は、中くらいだったから・・・今晩はあっしが先に赤坂まで行って、いい宿をとりやしょう!」と先に出かけていった。 後を追いかけた弥次さんが、御油に差し掛かった頃、宿場の女に 「この先の松並木には、悪いキツネが化かすから、ここにお泊りなされ。」と脅されるものの、喜多さんが待っているはずなのでと、誘いを断り、先を急いだ・・・。 しかし、夕闇の松並木はさすがに恐く、キツネの話が頭を離れない・・・ そして、喜多さんは、宿を取り、この松並木で弥次さんを待っていたところ、 弥次さんは、恐さのあまり、喜多さんをキツネの化け物と間違えてしまった。 そして、手拭いで喜多さんを縛りつけ、赤坂まで連れて行ったとか? (まあ、あんまり面白くもない話なんだけど・・・) そんな、逸話を思いながら歩くのも楽しいものです。 この松並木を抜けると、赤坂宿です。 御油に比べると、割と、昔ながらの建物が多く残っているような気がします。 赤坂宿には、見張り番を置いた、見附がありました。 東京の赤坂見附というと、銀座線と丸の内線の乗り換えが便利な場所ですが、ここも、もちろん、同じように見附があった場所だそうですよ。 そして、お昼ごはんは、古い宿屋を改造した場所で、地元の主婦達が集って調理している、「愛燐(あいりん)」で、600円のたけのこ御飯定食を食べました~☆ やっぱり、料理の鉄人も、家庭の主婦の味に負けた・・・というのが良くわかります。 お惣菜ばっかりで、地味~だけど、一品一品に愛情がこもっていて、すご~く、おいしかったですよ♪ また、赤坂宿には、江戸時代から続く旅籠「大橋屋」さんがあります。 建物の内部は、昔ながらの風情そのままで・・・嬉しくなります。 主に、東海道マニアの人たちが、泊まりに来られるとか? 女将さんも、気さくな方で、地元の観光ポイントを親切に教えてくださいます。 プチ江戸時代を味わいたい方に、ぜひお勧めの、御油・赤坂宿の旅・・・ 古刹も多く、しっとりと落ち着いて、いい風情ですよ! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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