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テーマ:プロ野球全般。(13397)
カテゴリ:BW,Bs関連
今週、Bsねたですが、
去年末あたりから噂になっていた補強が正式発表されましたね。 元Bs、'05年は大車輪だったパウエルが今季復帰 まぁ、彼は出て行った経緯が…というのはあるのですが、 それ以上に彼がいなかったら、Bsは'05年、 プレーオフ争いなんて、できませんでしたからね。 …本当に、後半は先発陣総崩れでしたから… そんな中、中4日も厭わず投げてくれていた姿勢は忘れられません。 まだ今年で32歳と若いですからね、 怪我の状態が気がかりですが、今季の活躍を期待しています!! --- で、背番号が50なんですね!! 彼が在籍したときは25番でした。 この25番は、今季は迎選手がつけることになりまして、 …その経緯を聞いて、私もソッコーでユニ作りましたが 笑 Bsになってから、25番を日本人選手がつけるのは初めてです、 '05年はパウエル、'06は欠番、'07はアレンでしたから。 パウエル加入は嬉しいですが、このタイミングで良かったです、 もう1ヶ月早かったら、きっと彼が25番だったでしょうから… で、パウエルの着ける50番、 外国人選手が着けている、となると真っ先に思いつくのが Mのベニー・アグバヤニですが、 これは彼の出身・ハワイ州がアメリカの50番目の州だから、 ということでつけている、こだわりの番号ということは聞いたことがあるのですが、 投手が着けるとなると…思いつくのは、元YB時代のドミンゴとか、でしょうかね… …と思ってたら、重要なことを忘れていたのを思い出しまして。 少し、ここに書いていこうと思います。 --- 話を飛ばしますが、 昔、こういうゲームがあったの、覚えていますか? …ピントがボケててすみません。 これは、「プロ野球ゲーム」という名で発売されていた、 各球団別の選手カードのゲームです。 この間、実家で見つけたので、懐かしくて持って来ました、 写真は、昭和62年('87年版)阪急ブレーブスの分です。 カードに載っている成績は、その前年度の'86年のものです。 阪急ブレーブスは、昭和63年、1988年が最後のシーズンで、 平成元年、1989年から、オリックスブレーブスというチームが発足。 なので、このカードに載っている86年の成績は、阪急ラストの88年の2季前シーズンのものですね。 確か、この年の阪急は3位。 で、1987年は2位でした。夏場まで、Lとしのぎを削って… でも、残念ながら、力及ばず…でした。 写真に載っている、山田久志投手は、阪急ブレーブスのラスト共に 現役のユニフォームを脱ぎました。 あらためて、成績を眺めてみたら、 その引退2年前のシーズンで、14勝を挙げていたんですね…!! --- 他のメンバーを見てみると 当時の若手売出し中だった、星野・石嶺コンビも、 彼らはこの後も、チームの主力として活躍してくれました。 星野は主要タイトル(最多勝or最優秀防御率)には縁がありませんでしたが、 最高勝率等のタイトルを獲って、BWの日本一にも貢献。 石嶺も、打点王のタイトルホルダーでした、 打席での、ゆったりとした構えが印象的です。 彼がFAで抜けたタイミングで、イチローが頭角を現しましたっけ。 そのイチローに抜かれるまでは、連続試合出塁の記録保持者でした。 --- 当時の私は…77年生まれなので、10歳とかです。 当時には、既にファミコンはあって、かなり浸透していて (確か’85年にスーパーマリオブラザーズの発売で一気に広まったはず) TVゲームでの野球も、存在はしていました。 でも、当時のテレビゲームの性能は、当然今のように凄くはなくて。 例えば、当時のファミスタって、今の実況パワフルプロ野球と比べて考えると、 ・実況が無い ・サクセスモードなんてあるわけない ・試合では、投手がタテの変化球が投げれない(確か) ・完投能力のある投手が一人もいない ・12球団再現ではない、ってか 阪急・近鉄・南海の当時の在阪パ3チームが「レイルウェイズ」で一まとめ 怒 って扱いでした。 …この間、他のブロガーの方と話して、思い出したのですが、 燃えろプロ野球、というゲームでは… ホームランバッターの打席だったら、 投球をバントで当てるだけで、ホームランになってしまうってのもありました。 --- なので、テレビゲームがまだまだ発展途上だった時代、 当然、テレビゲームが無かった頃の遺物も残っていました。 それが、このカードゲーム。 これ、ちゃんと「試合」が出来るゲームだったんです。 投手と打者で、サイコロを振り合って、 その出た目で、ヒットやアウト判定をして、というものでした。 今のテレビゲームのように、球種等を選んだり、とか 選手ごとのパワー・ミート・守備の能力が最適化されて、というものではなかったですから、 当然今の方が、ゲームとしての完成度は高くなっています。 でも、当時は、今以上に、ってくらい本当に野球大好きでしたから、 こういうアナログなゲームでも十分に楽しくて。 そして、打者の能力に合わせて、安打・長打も上手く配分されていたので 今考えると、とても良く出来ていたものだ、と感慨にふけったりします。 --- さて、そんな懐かしいものを引っ張り出してきて、 そこから懐かしい思い出がナンボでも出てくるものですから、 この文章の最初の当たりと全然関連がなくなってきていますので、 戻したいと思います。 外国人投手・背番号50と言われて。 私が思い出したのは、この選手でした。 アニマル・レスリー投手!! 阪急の抑えとして、1年目は活躍して 当時の阪急ってメディアへの露出が非常に少ないチームだったのですが、 アニマルは、抑えたときのパフォーマンスが派手だったこともあって、 メディアに時々取り上げられていましたよね、 私も子供心に覚えています。 でも、今になって記録を見てみると、 シーズンで19セーブだったんですね… …今の野球ではこの数字では物足りなく感じてしまいます、 抑え投手ながら5勝を挙げていることも含めて やはり、野球自体も大きく進化、変化していったんだなぁ、と感じます。 --- 2年目は…炎上してしまうことが多くて、結局解雇されてしまいました。 で、このアニマル選手の2年目が、私は生まれて初めて野球を見に連れて行ってもらった年で。 本当に懐かしい思い出です。 --- その後のアニマル選手って、たけし軍団に入って、「亜仁丸レスリー」として芸能界に転進。 風雲!!たけし城とかにも出演していましたよね。 で、そこらへんのところを見ようか、とWikiってみたら… …あの…懐かしいCMで、日清のカップヌードルのCMで、 こういうのあったじゃないですか。 …この「Hungry?」って亜仁丸さんの声だったんですね!!! --- 気がついたら、このアニマル投手と、 今回Bsに戻ってきたパウエルって、背丈・体重が近く、 同じような大型投手なんですね!! もちろん、投手としてのキャリアは既にパウエルの方がはるかに上でしょうが、 でも、何十年後にでも、記憶に残るような選手、という点では まだアニマルの方が上なのかなぁ、と思います。 --- だから、今季のパウエルにも、 例えば、優勝の胴上げ投手!!とか、 例えば、プレーオフのような重要な試合で、ノーヒットノーランやってのける、とか そういった、記憶に残る大活躍を見せて欲しいなぁと思います。 --- そうそう、忘れてはいけません。 アニマルと言えば、そのパフォーマンスの餌食?というか… 名コンビの相手だった藤田捕手。 そういえば、彼の背番号は25でしたっけ。 まぁ、今季から背番号25になる迎選手。 かつてメディアに注目されたアニマル&藤田コンビのように パウエル投手とのコンビで、何度もお立ち台に呼ばれるような、 そんな活躍を期待したいと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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