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カテゴリ:おんがくの話
昨日神保町の均一箱から引っ張ってきた。
「自暴自伝」ポンタの一九七二→二○○三/文藝春秋刊 500円だから買ったって訳じゃないのよ。 まあ、語りを文字に起した本だから読み易い。 それよりも、内容。 70年代から現在にかけて、この人のやってる仕事といえば! 小学生のときに聞いたアレとかそれも入っている。 今になって思い出す「あ、あのオカズの”♪♪”も彼だったのか!」そういえば思い出すどの曲のスネアの音も立っていた。 それだけ耳に刷り込みされている。 昭和40年代にモノゴコロついたコドモはみんな聞いているはず。 ポンタさんの音を。 それってなんだか凄いことなんじゃないのか。 うちにある国産音楽のレコード(CDだけじゃないんだぜ)の中にも彼のやった仕事がたくさんある。 中でもやっぱり”SUMMER NURVES"カクトウギ・セッションを聞いてたように思う。ああ、KYLYNもね。 あのLPを聞いていたおかげで、「milestone」のテーマを知ってる中学生になりえたのだった、今にして思えば。 もうカクトウギ・・のなんか、あえて再生しなくってもいいくらい覚えてるから。なんでここにストリングスが?!とか、この唐突だけど説得力のあるコード展開は!だの、のちに難なくイベロアメリカのリズムをカウントできたのはここにこーゆーオカズだのアレンジがあったからなんだわぁ、とあれこれとここに帰結してしまう。 そののちの山下洋輔さんたちとのセッションもそういや、なんだかんだと追っていたもんね。寿限無でも円周率でもいいけど。そこにはいつも「ポンタさん」の存在があった。影の追っかけ、っっつう感じ。 音っていうのはすごいです。 たった♪でも忘れない。 どっかで聞いたなって思うもの。 前にも書いたことのある、キューバの友人(今は北米でrepairmanしてる)はアルトサックス吹きだった。この人が来日したとき、オフの日に新宿歌舞伎町にあるスタジオでセッションをした。艶のあるアタックの効いた音をせまいスタジオで聞いた。最後に「きょうのセッションで一番のテイクにするから、忘れないように」といいつつスタンダードの”Misty"をやった。 彼がハバナに帰ったあとに、towerrecordで(まさかあるわけないじゃん)と思いつつ彼の演奏の入ってる音源を捜してた。(そこにはないが、ゴンサロ・ルバルカバと一緒にやってるのは存在する)そこで店内にかかっていたのはAna Caramの”RIO AFTER DARK"。ある曲の中に入ってるアルトのアタックが、とても彼の音に似ていた。(これかも)その場でお買い上げ。でも、書いてある名前は違った。 同じ年、さるバンドがキューバから来た。 ここのバンドのアルトも、なんとなく彼のと似ている。 「・・・・?」で、そのバンドのアルト奏者と話をする。 すると、彼のことを知っていた。ついでに東京案内もして、手紙を託した。 そのうち、セッションした彼からアメリカ消印の手紙がきた。 「なんじゃい、こりゃあ」 「いやー、リオ・グランデを渡っちゃったんだよ」 電話の向こうでまだ自分がそこにいるのが信じられないみたいであった。友達のとこに居候してるんだという。 色々あって、数ヶ月後、わたしはその居候先の友人宅で、そこにいるみんなと一緒に台所に立ち「えびのトマト煮」を作っていた。 居候のおうちの主はPaquito d'Rivera. Ana Caramと一緒にやってたアルトは、彼だった。 (今でじゃあグラミー賞のえらいひとになっちまいましたが・・・お茶目なおっさんよ。) 日の長いニュージャージーの夏の夕方、庭でなんでかビリヤードをした。卓に張ってあるフェルトのブルーの色が印象的だった。 そんなこんなしてその足でハバナに向かう。 来日したバンドのアルト吹きへ、二人からの手紙を託されていた。 「え、彼らに会ってきたの?」 ちょっと驚いていた彼。説明できないつながりかただし。 セントロ・ハバナのはじっこにある彼のアパートで、おかあちゃんに出してもらった甘いポート・ワインをなめつつ、旅のあれこれを話す。 「僕とパキートとマヌエル、音楽学校でずっと同級生。一緒にアルトやってたんだ」・・ということは、先生も一緒。 渋谷のtowerrecordで「マヌエルの音!」と思ったのはそのせいだった。もちろん彼らは別々の演奏家だけど、キビしく指導された部分てのは忘れないものなんだ、きっと。 同級生で一人だけ、キューバでがんばってる彼に東京でのセッションの話をする。 「卒業の発表会でさ、それぞれ好きな曲をできたんだけど・・僕は"Tea For Two"、マヌエルは”Misty"だったっけ」そうか、それでちょっと特別な曲、だったのか。 音の記憶がそういうふうにつながるとは、ぜんぜん予想できなかった。 だから、ラジオで聞いてただけのスネアの音だって。そういうふうにどっかでつながってるもんなんじゃないか。あくまで、わたしの記憶の中で、なんだが。 人の自伝なのに、自分のことを思い出すという、なんだか不思議な本。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Jun 17, 2004 09:50:23 PM
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