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ジョン・レノン像を見守る夜警の彼らが水筒に
仕込んでるコーヒーの甘さも、 バレエ公演を終えて帰宅した青年が冷蔵庫から 出してひとり飲む水の冷たさや味も。 彼らがもくもくとフォークだけで器用に食べてる 黒いんげん煮たのとごはんとユッカの塩味やにんにくのかほり、 お昼の弁当にそれぞれが食べるham y quesoのサンドイッチ、 そのパンのもそもそ加減。 どれも、彼らと一緒にたべたもの。 東京にいる今でも、腹の皮の一部にちゃっかり同化しているが。 こんな渋谷の暗がりで見ながら味が舌の上によみがえりそう。 わたしは、彼らを知っている。 いや、彼らのご近所さんを、彼らの行く市場で働くひとを、 時々食べるアイスクリーム屋の売り子の彼女を。 立ち読みに行く古本屋のあるじを。 だから、彼ら(も)知っている。 音がいっしょくたに耳をとおりこして頭直撃するような(モノラルな) 工事現場の作業音も、豆を煮るなべがしゅうしゅういう音も、 すくなくとも5杯(dos para mi, tres para cuba!)は入れたお砂糖を 溶かす、コーヒー牛乳のスプーンをかきまわす音。 それから、窓から人を呼ぶときのあの声。 それを聞けば「あぁハバナだなぁ」といっぺんにわかる。 どこの町でも聞かない、あの町の「ふつーの音」たち。 国営ラジオ放送の声をききながら、 黒いんげんと小石をテーブルクロスの上でていねいによりわける。 指の腹と第一関節のあいだで手早く。 そうだ、あれは少し指を反らせてするもんだった。 そうか、そうやるのか! ひとつ発見、初めてみたもの。 落花生売りのおばちゃんが紙で細い円錐形の入れ物をつくる。 くるっと丸めて尖った先にちょっとだけ糊つけて、折り曲げる。 軽く炒った落花生が中に「小腹」埋める程度に収まる。 誰かと散歩しながら、ちょっとずつつまむ。 ハバナでおやつに困ることはない。 誰かが食っていくためのおやつを誰かが食う。 それでうまくいく。 家族を置いてマイアミに発つ男が、イミグレーションの前で鼻水がとまらない。 初めてそこで国を出るのだ、という実感がわいたのか。 出国ゲートにぎっちりと詰める見送りの家族、蒸すような室内、涙。 息子によりかかり支えられながら見送る老母。 「外国」に「移住」したわたしの友人たちのことをおもう。 彼らも鼻水、止まらなかったのかしらん。 「外国」で再会をはたした彼らは鼻水流していなかった。 ハバナよりも空気が冷たくて、かわいているせいだろう。 ハバナでは穴の開いたずぼんはいていた彼ら。 今では立派にリーバイスになっていたけれど、 「外国」で会う彼らはどこかさみしげだ。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「すげぇキューバっぽい」ことを「muy cubano」というのだけれど、 それを町単位にすると「muy habanero」になるのかな。 すげぇハバナっぽい。 サンチャゲィロでもオルギレイニョでもマタンセィロでもなく。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 最後に出るコメント、彼らの「夢」。 ほとんどの人たちはいろんな形で「今以外の何かになる」「どこかへ行く」 ことを語る。最後に出る「夢はない」という彼女。 時間とか寿命の先がないっていう意味じゃないとおもう。 「死ぬまでハバナで生きるんだ」っていうことじゃないかと。 ここからどこかへ行かずに。 わたしはそう理解したい。 (別の可能性を考えないという強さ。) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 過去にたくさんキューバ映画はあるけれど、どっか「特別な人」の物語 だったんだろうね。娯楽としては楽しめるけれど。 等身大の「彼ら」がスクリーンに映し出されるのを、どんな風に見たのかなあ。 「外国」にいる「彼ら」はきっと鼻水止まらないまま見たろうな。 「外国の渋谷」で見たわたしも鼻水止まらなかった。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ あーやっぱり今年も、彼らに会いに行こう。 何があっても万事お繰り合わせの上! 「こんどはいつ来るんだって、え、来年?らいねんなんてすぐだぜ」 そういわれた去年の12月。 そーなのよ、もうらいねんなんだから。 格安チケット気長に手配しよう。 わたしにはわたしの「SUIT HABANA」があるからね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Apr 1, 2005 08:15:30 PM
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