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ハバナ・ビエハのちょっと海側に「palacio de artesania」という
ちょっと高級おみやげやさんがあります。 みやげもん風じゃないコンガやバタやトゥンバドーラ(たいこですね)、 それから鼈甲細工のアクセサリー。 (ワシントン条約に加盟してないとかで鼈甲白昼堂々発売中。) いかにもムラータ、な風体の女の子の人形。 ま、あの島でできるかぎりの「民芸品」をコロニアル様式で石造りの 建築の中で撃っているのです。 ツアーで来ると、たいていここでひとやすみして座ってコーラでも、と いうことになるみたい。 トイレもあるしね。 中庭に吹き込む海風がとても気持ちいい場所です。 ついでに石で囲まれた中庭(コの字型の建物)は音もよくひびく。 だもんで、ここではいつも何かライブがあります。 コーラ(もとい、トロピコーラ)ひとつでいつまでも粘ることだってできる。 いや、帰りにCD一枚くらい買わねばという気になるけれど。 すごいのは、おばちゃん一人で歌のカラオケ・テープかけて歌う出し物。 またこれが、おばちゃんの声量ものすごいからアムプリファイド不要。 そばにきて歌われると、大変です。 立派なお尻をサテンのすごい生地でサリーみたいに巻いて、中庭に立って ひとりで歌う彼女はほんと、存在感あるの。 お昼まで見てたら、あとで客席(小学校の昔の木の机と椅子みたいなのが たくさんおいてある)のすみっこですごい衣装のままお弁当たべてた。 歌いながら自分のCDを売るのが、彼女のここでの仕事。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 別の日に、やっぱり暑くてたまらんからコーラ飲みに立ち寄った。 こないだのおばちゃんではなく、古いソンなんかをやるグループだった。 コントラバホ(ベース)、シンセとトランペット、コンガ、ボンゴ、ギター、 それからヴォーカルの男子のマラカスと女の子のグィロという編成。 シンセをひいてる白髪のおじさんがリーダー。 トニ、と呼ばれてたからたぶんアントニオっていうんだろう。 自分たちが生でやる曲と別に、カラオケ入力したシンセ伴奏でやるのもある。 アントニオ・カルロス・ジョビンとかの曲。 わたしのすきな”tristeza"も入ってた。 このときはトニさんがトランペットを吹く。 やわらかくていい音。 どういうわけかこのカラオケ音声の最後に必ず「線路は続くよどこまでも」が はいっててやたら単調に響くのだった。 よく練習用に入ってるやつ、という感じのモノフォニックな音。 消しときゃいいのに、と何ステージかきいてて笑いそうになる。 あの曲をきいて反応している客は、わたしだけだろうな。 ギターのおじさんは、自分のこと”ヴィト”と言ってた。 ヴィクトル→ヴィクトリー→「勝夫」とか「勝」-まさるさんと呼んでおこう- ビジャクララ出身だそう。 「はじめは地元で演奏してたんだけど、ハバナのほうが仕事あるしね」 そうだそうなぁ。あっちこっちで音楽があふれているという演出だもの。 休憩時間にちょっと話をする。 以前日本人女性の伴奏をしたことがあるんだ、とか。 そんなせいでいきなり身近な話題ができる。 わたしの古い友人、今は北米に行ってしまった演奏家の話とか。 「おれもね、スペインに演奏の仕事いってきたんだよ」 え、どこで、ときくとアストゥリアスのヒホンだという。 なーんだ、それって、”SEMANA NEGRA”??? (毎年7月に行われる!国際推理作家協会!主催のイベント。 メキシコに住む歴史/推理作家パコ・イグナシオ・タイボ二世が中心 となって彼の故郷ヒホンの村おこし??といった色もかなりある。 野外コンサートやら大道芸、サーカスから推理作家たちの公開討論、 それからフォト・ジャーナリズムに関する展示・・とまず節操ない催し! なにせ海外から招かれたゲストはサーカスの象が引くトロッコ状の乗り物 に乗せられて、海岸通りを通ってメイン会場へ向かわされる・・・!) だいぶ前になるけれど、わたしもこのイベントに潜入しに行った。 だもんでキューバでこの話ができる人に会えた、また「まさおさん」も その話ができるハポネサがいたとは、とおおいに盛り上がる。 アストゥリアスの料理のおいしかった話、などなど。 (仕事で行った演奏家たちも、ゲスト作家たちと同じホテルで同じごはんを たべるのだ。わたしが行ったときはIRAKEREのチューチョ・ヴァルデスが となりのテーブルで甘エビのスープ食べてた。) ひとしきりおいしかった話をして、 「次のステージ。何かリクエストないかい?」 そうだなぁ。このメンバーだったら古いソンか哀愁のキューバ歌謡。 「”como fue"をお願いできる?」 いいよ、メンバーにいってみよう。 ベニー・モレも歌ってる、古い曲。 グィロを持った女の子が歌う声、ついでに夕方の海風も吹き込んできて、 日本じゃなんぼ払っても実現しないであろう贅沢な時間が成立した。 亡命した友人たちも好んで演奏していたこの曲。 ニュージャージーで会った亡命後の友人たちや、マドリッドで会った サンチャゲィラのおぢいさんたち、リオハやヒホンの濡れた石畳の道で 酔っ払いながら歌ったこと、それから東京で一緒に散歩した彼らのこと。 みんなハバナで会えたらいいのだが、それは難しい。 ここまで何事もなく来れてゆったりしていられる自分が、ひどく贅沢 していることを思う。で、勝手にうるうるしてしまう。 そうでなくても、キューバにいるとやけに感情豊かになるというのに。 (いーや、在日本比+40%くらいのヴォリュームにしないと相手に 伝わらないから。) これだけおセンチになっといて、あとでボンゴをたたかせてもらう。 2ステージもやると、手がぱんぱん。 「毎日やってりゃ、痛くなんかならねぇよ」 ちょっとぶっきらぼうなコンガ奏者の兄ちゃんが、あとで笑いながら言ってた。 ひとつ歌きいただけで、このうるうるしかたはどうだ! でもって、またもや「まさおさん」とはセサル・ポルティジョ・デ・ルス (キューバ歌謡の有名な作曲家っす)の話をし、歌をうたい。 トロピコーラだけでこれだけ楽しむなんて、実に罪深い。 「さぁ、次のステージの仕事に行くぞぉ!」 ”まさおさん”はネクタイをしゅるっと締め直すと、ハバナビエハの盛り場の 方へギターを連れて消えていった。 わたしはそのあと、ルヤノー地区の住宅に住む友人ちへ。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
May 16, 2005 08:21:50 PM
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