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身辺にいる(と、思われる)自称自営・フリーランスで何らかの仕事を商売としている
人々(特に男性)たちの間では、「さらりーまん」はいけてないものであるらしい。 「会社にしがみついている」だの「人に使われてる」とか「自由がない」などと、 いまさら私大文学部or経済学部の大学2年生も云わないような発言が耳につく。 彼らも一度か二度は「さらりーまん」という業態を経験しているらしい。 前述のような発言が繰り返され、さらに現在の稼ぎ方を選んだからには、何かしら 「さらりーまん」として幸せでない経験があったのかもしれない。 しかしほんとーにそれは「自由」なのか? 定期的な収入からも「自由」になっているのかもしれないが。 まあ、それを選んだ人々の全てがいけてる状態になれるってわけじゃないんだろう。 (それは「さらりーまん」でもおんなじだ。) 個人的にはおうちと仕事する場所は離れているほうがいい。 だって気が散るじゃん。 予想外の出来事、飛び込んでくる話、その他もろもろを隣の人と一緒に怒り、 笑えるという経験。 事情があって職場を半年ほど離れざるを得なかったことがあった。 そのあともとの場所に戻って、仕事をはじめて、 あたしは「会社で仕事をするのが好きなのかもしれないな」なとぼんやり思った。 まあ、そのへんは人それぞれだからかまやしない。 でも、どうしてそんなに「さらりーまん」諸君(の環境や働き方を含む)を敵視するのか、 いまいちわからん。 誰かから仕事を受注されて始めて商売になるんなら、フリーランスだって 「人に使われてる」のだから。 「さらりーまん」も他所からお金を取ってくる、狩りの方法の一つである、と思う。 「フリーランス」もまた然り。 (それなら、自宅でうだうだしてねぇで、さっさと狩場を開拓しに行けよ。) まいにち同じ時間に満員電車に乗ってしかも誰かがドアにカサをはさんだだけで全線が 遅延する素敵なのりものに乗った先にある「会社」。 数々の障害をまたぎつつ通ってるんだなぁと思うと涙が(出ない)。 さらりーまんの「自由」はジャズのソロ・パートみたいなものじゃないか。 1パターン・48小節ならその長さで思い切りあばれる。 誰かがその次にまた暴れる。それが面白い。 制約があるほうが、自由の濃度は高い。少なくともあたしには。 ついでに言えば、今までは「36小節」しかなかった自由を自分たちで「48小節」に 拡大してこれたっていう自負もあるのさ。 ああ、ひょっとして「うらやましい」のかもしれないな、「さらりーまん」が。 ふん、くやしかったらなってみなさい。これからでもいくらでも。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Apr 25, 2007 08:23:20 PM
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