王冠つきの時計
引っ越しによる魔窟退治に伴い、それまでできなかった失せもの探しも可能になった。腹中虫を駆使せんでも、失せものは見つかるのだ~。(腹中虫.....cf.百鬼夜行抄)で、個人的に第一級の失せものとしていたモノが、やっと.....!(涙)革でできた丸い箱に、10年とちょっと寝かし続けていた。さすがに革バンドはがびがびに変質していた。恐る恐る竜頭を巻くと、すぐに正確に働き始めた。王冠マークの付いた時計、カメラで言えばイニシァルLの付いたやつ。これまで所有するほど(病気)になれば、一応すごろくのアガリ状態になるらしい。(Leningrad、ではありません。念のため)大学出て、仕事始めて、いろんなペースが変化して。さてその生活の合間にどーやってジャズを詰め込んでいこうかな、といつも考えてたような時期。まぁまぁ使える時計はあるにはあったけど、夏冬のスーツ揃えるだけでもひーこら言ってたし。王冠の時計の元オーナーに会ったとき、わたしはその時なりのシャレのつもりで小学生から使ってたディズニーのシンデレラがついた、赤いプラスチックの時計をしていた。その人は、それを見て「もっと、ちゃんとしたものをしなさいよ。ほらこれを貸してあげるから」と、いくつも持っている中から選んでわたしに渡した。腕に巻いて見せると、「うむ」と満足気だった。手巻き時計はその前からしていたから、別に特別という気はしなかった。ただ、それをしていると微妙にいろんな場面での「扱われ方」が変わる。モノの威力ってのは、そういうものなのか。誰がしてるかは、問題じゃないんだ。その時なんとなく、わかった気がした。元オーナーは、すごい真空菅アンプとスピーカーの主でもあった。霊媒師のように「その一瞬」を何度もその空間に呼び出す事のできる道具。わたし以外のたくさんの人達も、彼の呼び出す「時間」と向き合いに来ていた。面識はないけれど、どこかで見掛けたような人もよく来ていた。あたらしい生活パターンの中のどこに、ジャズを「設置」するのか?この空間に出入りするうち、なんとなくその場所が見えてきた。何も楽器で暴れるだけじゃなくて、それは人との「間柄」や仕事の中、生活のはしばしの行い全てのどこかにあってもオッケィなんだ。いや、なくっちゃならない。ベルトを替えたり、メンテナンスに出して大事にしていると知ると、元オーナーはうれしそうだった。それから、キューバ通いやら中南米マガジンやらなんやらかんやらしているうちに、大事にしまいこみすぎたらそのありかがわからなくなった。元オーナーも不在がちで、会わないうちに獣道に草がぼうぼう生えてしまった。2年ほど前に、元オーナーが既にこの世の人ではなくなっていた事をさる場所で知った。痩せていたからなぁ。過去に大病したらしかったし。お盆開けにひょっこり出てきた時計を、ゆっくり巻き直す。久しぶりにオーバーホールかな、などと呑気にしていたが、この種はまずさんまんえんは覚悟するもの、らしい。まずはしばらく、このまま再会を楽しもう。