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Satokoの徒然きままなときどき日記

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2012.01.02
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カテゴリ:カテゴリ未分類
みなさまあけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

最近FBで近況を更新しているので、なかなか楽天に来ることができません。
ネットにはいつものようにいるんですよ。


秋から教師になって、本当にめまぐるしい5ヶ月でした。
普段でも家事がなかなか進まないわたしなのに、家のなかは本当に荒れ放題!でこの休暇も友人が遊びにきてくれていて、遊ぶほうが先になってしまいました。


9月、主人の祖母が他界しました。
結婚以来、シンガポールで生活していた頃には、本当にやさしくしてもらい、いつもいっしょに笑えるおばあちゃんでした。
おばあちゃまのご主人は30代に先に亡くなり、女手ひとつで、義母と二人の弟を育て上げた強い女性でした。義母の一番下の弟がおばあちゃまの面倒をずっとみてくれていたのですが・・・義母たちの仲はいまいちしっくりしていませんでした。人間生きていると本当にいろいろなことがおこるものです。
ちっちゃな勘違いがとんでもないわだかまりへと成長してしまうこともたびたび。

おばあちゃまの死を新聞で知った義母たちは茫然としました。
お通夜に参列者として参加したのですが、弟たちからは声をかけられることもなかったそうです。


しかし・・・お葬式の前夜、おばあちゃまが弟さんの夢まくらに立って、いさかいはよくないので、きちんと仲直りしないといけないと言い渡したらしく。
これをきっかけに、義母さんのわだかまりはなくなりました。
お葬式の会場の端で、姉弟は肩を抱き合い泣いたそうです。

10月に入って、義母の体調に異変があり、病院にいきました。
左手が腫れているので、痛む。それをどうにかしたいという一心でした。



しかし・・・・
医師からの診断は、どうも体に思わしくない影がある。
そういう理由で、精密検査に。


手遅れの癌であることが、義母本人の目の前で言い渡されました。
首のあたりの骨、腎臓、心臓にがん細胞があることがわかりました。


9年前、乳癌になり、それを克服した母です。
ただ、手遅れだといわれて、母は治療を一切望まないことを決意しました。

その日から、着実に母が昇天される日への秒読みが始まりました。

母は天国にいって神様に会うことができることを幸福に思い、死を怖がることは一度もありませんでした。

ただ、地上での体の痛みはずっといやがっていました。



11月、感謝祭の休暇を使って、主人とジョエルがシンガポールにもどりました。
そのころの母はまだ元気で、いっしょにおいしいものを食べたり、散歩をたのしんだり、笑うこともできました。わたしとはんなは学業と仕事のためにアメリカにのこりました。

その後、母の調子はよくなったり、悪くなったりで・・・

それをサポートしてきた、義弟、義父にとってはとてもつらい日々だったと思います。

西洋医を嫌う母は、友人からいい漢方医だと聞くとすぐそこにいってはいろいろな方法を試してみたようです。


12月にはいって、栄養が偏った母に呼吸困難の試練が襲ってきました。
肺に水がたまっていたのです、体力があまりにもなかったので、心臓発作も引き起こしてしまいました。

それから遠くにいるわたしたちは、毎晩電話がならないかと心配する日々が続きました。


年末2度目の心臓発作が起こり、病院に再度もどった母は
義父、義弟に見守られるなか睡眠中に
2日の朝12時39分、昇天しました。
やすらかな顔をしていたそうです。

享年71歳。

義父と共に過ごした宣教師、そして牧師の妻としてまわりの人に尽くした人生だったと思います。そんなお母さんを誇りにおもいます。






母は・・・わたしたちに望んでいたことは、なにがあっても普段どおりの生活をすること、かなしまないこと、借金をしてまで家族でシンガポールにもどってくるなということ。
そしてなにより、喪に服さないこと。


夏に会ったときに、アロンに母が漠然といったそうです。

もし、母が逝く事あらば・・・「人生を祝う会」をもって、だれも黒い服を着ることがなく、華やかに着飾って、母の人生を祝うこと。

おかあさん、9日の会にわたしは行くことができませんが・・・いつもおかあさんのことを思っています。

いままでありがとう。
またね。






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最終更新日  2012.01.03 15:44:49
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