四十九
こんばんは何時も里のムシ研に、ご訪問有り難う御座います。 本日、父の四十九日でした。亡くなった父を見、骨を拾って49日過ぎてなお、実家に帰ると、「おう、来てたんか?」なんて感じで父が出て来る気がして・・・・・気持ちに区切りを付けるべく、少し書きたいと思います。親父は、9人兄妹の末っ子で、明るくよく喋り、少しばかり癇癪持ちでした。結婚して、今の地に住んでから、娘が欲しくて、私が生まれる前から、女の子の名前ばかり考えていたようです。(ちなみに私が女の子で生まれてきたら美香だったらしい)しかし、生まれて来たのは男、次も男、その次も男スポーツが得意で、野球は大好きでした。子供が男ばかり生まれたので、キャッチボールをするのが楽しみだったみたいですが、私は野球が好きではなく相手するのが苦痛でした。今思えばもっと相手してあげたらよかったな・・・・・・・ジャイア〇ツが好きで、負けると不機嫌、一寸した事で怒られ、益々私は野球嫌いに(笑)多分兄弟3人ジ○イアンツには勝ってほしいが、ジャ〇アンツ嫌いだったかも(汗)私たち兄弟3人、それぞれ、か~な~り!!心配を掛けるような事をし、苦労させました。申し訳ない・・・・・・お酒が苦手で、苦痛だったにも関わらず、田舎の付き合いで飲まなければならず、大変だった様です。飲まされ過ぎ「死ぬ~~」と言ってた記憶があります。それでも、私たちが飲めるような年齢なると、一緒に飲めるのは嬉しかった様でした。数年前、凄くショックを受けた事があり、元気がなくなり、アルツハイマーを発症、発症して半年後のお盆、「最近直ぐ忘れてしまうんや・・・・」と、私に悩んでる事を話してくれました。私は、病気の事は言わず、「歳なんだから、そういう事もあるよ」 とは言ったのですが、目を見て話せなかった事を少し悔やんでいます。話せる間にもっと話し手おくんだったなぁ・・・・・・・その後、一度だけ、親父と母、兄弟とその家族の総勢14人で旅行に、本当に嬉しそうだった。病気は悪化してゆきましたが、長い間その事は覚えていたようです。(近い記憶の方から忘れてゆく病気ですので)そして、今年、食事の飲み込みが悪くなり誤飲性肺炎で入退院を繰り返し、6月10日に母から連絡があり、もう長くは無いと・・・・・・退院し、自宅療養、近くの医院の先生に大変お世話になり、私も出来得る限り実家に帰るようし、7月5日母が明日は私の祖父の命日だと思い出しじいちゃん、あの人が往くから宜しくお願いしますね。7月6日、早朝、弟からLINEがあり、慌て、実家に向かうも、数秒間に合いませんでした・・・・・・息を引き取り、10秒以内だったそうです。私が玄関を開けたのは・・・・・・・・・・・私の祖父と、親父は同じ命日となりました。苦しまないで往けたのは、祖父のおかげだったのかもしれません、四十九日、お浄土へ辿り着けたかな?親父・・・・・・・・貴方のおかげで、今の私達があります。ゆっくり休んで下さい、本当に有り難う!!