すべてがSFに見えるシンドローム
小説野性時代や、小説新潮を、読んでいると、ふと感じるのです、SFじゃないのに、これもSFなんじゃないか、現代や時代物だったりしても、SFの小道具が出てくるわけでもないのに、そういう設定のSFじゃないのか、広い意味でのSF小説の中の1分野ではないのか、不思議でしょう、どんな小説を読んでも、あのセンス・オブ・ワンダーを求めてしまうのです、そして、感じてしまうのです、もう、すべてが、SFとしか思えない、ちょっときてますか、重症でしょうか、すべてがSFに見えるシンドローム、たしかに、現代は、インターネットにスマホ、リアルな世界もSFっぽいし、『百億の昼と千億の夜』を読み終わってからというもの、自分の住む世界も、長い時の流れの中の一瞬というだけで、同じ世界の登場人物の一人じゃないのか、なんの変哲もない、ごく普通の日常にも、SFを感じてしまうのです、普通の日々の中にも、SFを感じてしまう、かあさおじ@なのであった。