地の果てにイームズの椅子を見に行く
東京の東側を流れる川の向こう側はズッポリと崖になっていて、地面も水もなにもかもが地表から流れ落ちている・・・・つまりは『地の果てである』と、なんとも失礼なイメージをお持ちのえすpさんだが、その地の果てから嫁さん貰ってるんだから全く世話がない。とはいえ、東京から一時間ほどで行けるにしては、千葉の田舎っぷりはたいしたもので(もちろんそうじゃない場所もあるが)、えすpさんが「念願の『イームズの椅子』を見に行くのだ」と言って指し示した地図が私の出身地のすぐ近くだったのには死ぬほど驚いた。いや、死なないが。「こんなとこに何でデザイン雑貨の店があるのさ、きっとチンマリと小さくて、行っても仕方ないよ」と、なにげに抵抗を示したのは、カオスの時代を過ごした場所に舞い戻ることに対してだったに違いない。そこには私、6歳からちょいとオトナになるまでのかなり長い間住んでいたし、なによりその店は、通っていた高校のすぐ近く、今でも当時からの友人が住んでいたりする地域だ。それでも、言い出したら止まらないえすpさん、午後から車を出したのが先週の日曜日のこと。他にも寄り道をしたせいで、カーナビさまは私が住んでいた家そのものを「迂回路」としてマークした(まさか)。久しぶりに見る懐かしい景色。15年は経っているか。当時の空き地にはぎっしり家が建ち、住宅地も貫禄というか、風格がついたというか、すっかり落ち着いた町並みは私が知っている町とはなんだか違って見える。その場所にだんだんと近づくにつれ、心が騒ぐ。ついでというよりは、カーナビさまのお導きどおり、私はかつての「自宅」のある場所に車を寄せてもらった。(のつもりだったが、あっけなく見逃して、引き返した。)売るに売れないその土地には、門扉をそのまま残してあるのだが、すっかりさびついて開かない。懐かしい感情もなく、ただ「入ろう」と思った所に入れなかったのはもどかしい。だけど、まあ、そんなものだろう。そっか、入れないのか。ガレージにまわって中を覗くと、車庫用にコンクリートを打ったところはそのままだが、更地になっている土地いっぱいに、ひざまで伸びた青い草がぼうぼうと生え競っている。この家を離れてから身長が伸びたはずもないのだが、門も扉も、なにもかもが小さく見えた。両隣の家の改札は変わっていなかったから、当時のまま、住んでいらっしゃるのだろう。ご挨拶をすべきかと思ったが、いきなり「昔、隣に住んでた娘です」と言ってもただ驚かせるだけだろうし、それよりお隣に住んでた同い年の娘さんは屈指の優等生だったから、私は未だにコンプレックスを抱いているのだ。まあ、あまりジロジロ眺めていても仕方ないので程々にして車に戻ったが、写真の一枚も撮らずにいたことに後で気づいて、なんだかガッカリしてしまった。その後、中学、高校の通学路を通り抜け、目的の店へ。いろんな思い出(それもこっ恥ずかしいものばかり)が頭の中を巡りはじめて、赤面しそうなのをごまかすように、「あ、ここに○○ちゃんが住んでる」だの「この店、きれいになってる!」だの、聞いてるえすpさんが答えようも無い話題ばかりが口をつく。それでも、致命的なボロが出ないうちに目的の店に着いたのは幸いだった。思ったよりも小洒落ていて、大きな店だった。雑貨大好きな私は、いつの間にか、夢中で店内を見てまわっていた。道路一本わたれば、梨畑のあるような土地柄ではある。大手私鉄の更に子会社の路線は、けれど当時から黒字路線で、それにしても沿線は栄えていないな。いや、当時に比べれば断然、賑やかになっているのか。もうちょっと交通の便がよければ、という愚痴は当時のままだ。そして、夕方になったら道路は混んで微動だにしない、というのも相変わらずだった・・・というわけで、最後は「ららぽーと」なのか「ラフォーレ」なのか未だに区別がつかないえすpさんの意図に沿ったのかどうか、幕張の「カルフール」でお買い物。元がフランス資本だけあってチーズやワインの品揃えには感心したけれど、やっぱこのスタイルじゃ受けは悪いだろうなぁ。紀伊国屋ばりの輸入食材を期待した自分たちも悪かったが。マグカップご購入。おまけ翌週、10日の日曜には再びお店に行って交渉することに。渋滞を避け電車で行くのはいいが、交通費が馬鹿にならない。つか、洒落にならん。その前に、私はワンコを洗う体勢に入っていて、いきなり「出かけるぞ」って言われても無理なんである。結局、一人で出かけることになったえすpさん、出掛けに私に「駅前になんか店あるか、居酒屋でも何でも」と聞くのだが。「ンなもん、あるわけありません!」・・・ある意味、真実。(記事一部修正・9.13)