|
カテゴリ:ぼちぼち歳時記
何気に「不惑の歳」なんて言葉が思い浮かんで調べてみました。
不惑:論語から出た語で、四十にして惑わずの意。40歳の異称。⇒而立(ジリツ) とありました。40歳では既に自分の確固たる道を見つけ目標に向かって邁進すること ということですね。 ⇒而立(ジリツ)って?とまた、辞書をひも解いてみました。 而立:論語から出た語で、三十にして立つの意。30歳の異称。 ⇒志学(シガク)・不惑・知命(チメイ)・耳順(ジジュン) おお、論語にこんな感じの言葉が出ていることは知るわけもありません。 論語といえば「し のたまわく あっちっち…」くらいしか思い浮かばない私ですが… 志学:論語から出た語で、学問に志す意。15歳の異称。 なるほどね、丁度高校入学の年齢は学問に目覚めるお年頃なのですね。 知命:論語から出た語で、五十にして天命を知る意。50歳の異称。 天職と自己の能力の限界とを共に悟る年齢。 50歳となれば酸いも甘いも嗅ぎ分けた大人になって分別を弁えなければいけないのですね。 耳順:論語から出た語で、六十にして耳順(したが)う、すなわち何を聞いても 素直に受け入れる意。60歳の異称。 人生50年といった時代には60歳は悟りの境地に入ったようなものなんですね。 それぞれ、節目節目で含蓄のある言葉で自分の今いる年齢の重さを知るいい機会なのですが それを教えてもらったことは今まで一度もありませんでした。 年齢でその人となりを測ることはできませんが、年齢に見合った心構えだけは持つように していくと、見えてくるモノが違ってくるかもしれません。 今、ふと思い出しました。今日は七夕さまです。 天の川は見えずとも星くらいは名古屋の街からでも見えるでしょうか? 見えませんでした。雲に覆われています。やっぱりまだまだ梅雨時です。 心の書・論語 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.07.07 22:44:55
コメント(0) | コメントを書く
[ぼちぼち歳時記] カテゴリの最新記事
|