テーマ:懐かしの昭和歌謡(764)
カテゴリ:70年史
1973年はオイルショックの年 重い内容の曲が多かった印象があります たしか夏だったと思う。 深夜放送のラジオからバイオリンのイントロに続いて、 それまであまり聞いたことない曲が流れてきた。 ♪何も怖くなかった、 ただあなたの優しさが怖かった。 その詩と曲が妙に心に残って もう1度聞きたいと思った。 そして次の週、生まれて初めてラジオにリクエストをした。 なかなかつながらなかったが、 ともかく曲名をつげて静かにラジオを聞いた。 かなりいい曲だったから、 ひょっとしてBEST10にはいって入るかもしれない、 期待をこめて10位から発表を聞く、 8位、7位、6位・・・出てこない。 4位、3位・・だめか・・ そう思いながらあきらめかけて寝ようとしたとき、 1位 神田川 南こうせつとかぐや姫 同じことを考えていた人間が他にもいっぱいいたのである。 その後この曲は深夜放送でブレイクした。 世間でこの曲が大ヒットしたのは これより数ヶ月後だったように思う。 1974年には よしだたくろう が CBSソニー から 今はまだ人生を語らず というアルバムを出します 知識(よしだたくろう) 1974年 : 殺人組曲第4番ト長調 ★不埒なエビデンスはアモローソに消せ 1975年にはワーナーから 河島英五とホモサピエンスの 人類 というアルバムが出ました ♪誤魔化さないでそんな言葉では 僕は満足できないのです てんびんばかりは重たいほうに 傾くにきまっているじゃないか 結局この曲はさほど話題にならず B面にあった”酒と泪と男と女” のほうが有名になってしまいました てんびんばかりがどちらにも傾かないのは 両方の皿で価値観が違うから なのでしょう こぶしを上げる人々 と 手を合わせる々が わかりあえる日はくるのでしょうか てんびんばかり(河島英五とホモサピエンス) 1975年 : 殺人組曲第16番ホ短調★脳幹はグラーヴェに逝きまっしょい 太田裕美は70年代前半に スクールメイツとして活動していて キャンディーズに入れる計画もあったようですが 1975年には20歳になってしまうので 1974年11月にピアノの弾き語りでデビューしました 1975年には3枚のアルバムを出し しだいにアイドルっぽい路線にシフトしていきました ♪これはきっとただ一時のことだろう ふさぎ込んでる季節が ただ夕焼けのために 美しく見えたりするのは あれはきっと思わせぶりな夢だろう うつむきがちに誰もが 急ぎ足で過ぎゆく 背中に誘いかけるものは それでも夕焼け それでも夕焼け 面と向かった 僕の顔 今だけは 今だけは 輝け それはきっと青春の日の蔭だろう 満たされぬことにまで 慣れてしまった今でも 長く長く尾を引くものは それでも夕焼け それでも夕焼け 面と向かった 僕の顔 今だけは 今だけは 輝け とても素晴らしい歌詞です。 1975年に上演されたミュージカル 十月は黄昏の国 の中の曲で 作詞作曲は東大卒の元銀行員小椋佳 小椋佳の作品にはよく出てくるんですが 過去を振り返って なんでもない一瞬が輝いて見えたこと それを年老いた人間がふりかえったとき 後悔しているのか 満足しているのか どうとらえるかは聴く人の人生や性格によるように思えます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.11.15 09:23:33
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