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2008年02月22日
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カテゴリ:ヒューマニティー

   独来独去 でも人は一人じゃない

 大無量寿経という、お経がある。私も、そんなに良く勉強したわけではないのだけれど、その中に興味深い一節を見つけました。

 「独来独去 無一随者」というのです。

 つまり、私流の意訳をしてみれば
「人間、生まれるときも死ぬときも、一人きり、誰もついてきてはくれない」
という恐ろしいまでの、人間の存在の厳しい一面を語っている。

 さらに大無量寿経は次のように続いてゆく。

 「財産があっても、物惜しみをして人に与えず、宝をむさぼり守ることに心身を苦しめる。そんなにまでして財宝を惜しんでも、死んで持って行けるものは何一つ無い(身一つで行かねばならない)」

 まあ、幸い物惜しみをして、こだわるほどの財宝には全く縁がないのでこちらの方はあまり心配はないけれど。

 高校生の頃、もちろん大無量寿経なんてお経の存在すら知らなかったけれど自分なりの思考の中で、この事実にはたと突き当たって、酷く虚無的な気持ちに襲われたことがありました。

 「気が付いてみると、この世の中に一人で生まれてきた。そして、やがて一人で、肉体にもこの世にも別れを告げて去っていかなければならない。だとしたら、生きていることは一体どんな意味があるのだろう・・」

 当然、その答えは、いくら考えてもその時点では出ようはずもなかったのです。
誰かに、そのことを問いかけるチャンスすらありませんでした。

 ただ、経験的に漠然と、今そのことに悩んでも生産的ではない。
まだ、ほんの少しの猶予はありそうだから、とりあえず、答えのでない大きな難問は留保しておいて、目の前の一瞬一瞬を、精一杯に生きるしかない・・。という一定の自分なりの答えを出したものでした。

 今、大無量寿経のこの言葉に巡り会って、ああ、あの時の心境だったのだと思い至ります。

 そう、個としての自分を、孤立したものとして考えると、あまりに小さく、あまりに空しく、孤独で、さびしいのです。でも、最近はこの大無量寿経のさきにある、大きな宇宙、長い命の鎖の一部分として支えられて、一体となって生きている(活かされている)自分に思いたるようになりました。

 私たちは、肉体という命の器にのって、自然と対立したり、孤立した存在として生きているけれど、私の中の生命は、長い、幅広い生命の連関で、自然と宇宙とつながっているのです。

 たとえば、私に命を繋いだ両親がいます。その両親には、2人ずつ合計4人の祖父母がいます。その祖父母に命を繋いだ曾祖父母は8人このように計算してみると15代前には、なんと16、384人の生命が、一度もとぎれることなくバトンタッチを繰り返してきたのです。15代前というとひと世代25年として計算すると
375年前、もう江戸時代に入っています。江戸以降でもこんなにたくさんの命が
一人の人間の誕生には関わっているのです。

 この一人一人が、絶やすことなく命を繋ぎ、精一杯に生きてきたのだと思うと
胸が熱くなります。そう考えれば、何も大変な偉業を遂げなくとも、お金にも地位にも名誉にも縁がなくとも、生きて人類の命の鎖に連なって生きているだけで十分に意味があると思えます。

 命の鎖を次の世代に引き継ぐだけでもたいしたことです。仮に、自分の子どもがいなくても、人類の生命の流れを側面的にでも支える事ができただけでも、やっぱりすごい事です。生きている事は、すごい事、有難い事、大変なことです。

 そう考えると、
「独来独去 無一随者」でも、ちっとも寂しくない、孤独ではない。
私に連なる、何万もの生命があるのです。その、大きな流れの一つの環に、私のいのちがある。私に与えられた区間を精一杯に走って、自然の懐に帰ってゆこうと思います。

 元々、私たちの肉体も140億年前のビックバンの時に宇宙空間にまき散らされた星のかけらなんだそうな・・・。まさに、私たちの存在は宇宙そのものなのだから、宇宙に抱かれて、ちっぽけな自意識を宇宙の中に溶かし込んで、生きてゆきたいものです。

 高校生の頃、学校は受験一色でした。なんのために生きているんだろう、なんのために学んで知るんだろう・・と考えるゆとりはあたえられなかったのです。
 記憶に残っている先生達の言葉は
「ここは入試にでる」
「○○点以下では、試験に受からない」
という脅しばかりです。
そして私自身は
「今だからこそ、こんな知識の詰め込みではなく、もっと考えておきたいことが沢山あるのに・・」
という思いを抱えていました。
 それから数十年経って、やっとこの頃、その頃の宿題に、答えを見出しかけたかな・・という思いです。

 だいぶ昔の調査だけれど、アメリカのジョンホプキンズ大学が国立精神衛生研究所の援助を受けて行った調査があります。その結果によると、78%の学生が自分の人生に意味と目標を見出すこと、有意義な人生哲学を作り上げることを、人生の第一の目標にあげています。

 私たちの、生涯を通じた学びの目的もまさにそこにあるのでは・・人間を理解したい、人生の意味を手に入れたい・・そんな思いの中に。

 私、という存在が、宇宙につながっている、そんな実感がもてたらとても安らかな気持ちになって、やるべき仕事、ミッションのために、力を発揮できるのではとおもうのです。

liberabanner.gif

ひと塾リベラ 松井幸子

info@lumoscoaching.jp






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最終更新日  2008年02月22日 19時02分41秒
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