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カテゴリ:ヒューマニティー
独来独去 でも人は一人じゃない 大無量寿経という、お経がある。私も、そんなに良く勉強したわけではないのだけれど、その中に興味深い一節を見つけました。 「独来独去 無一随者」というのです。 さらに大無量寿経は次のように続いてゆく。 「財産があっても、物惜しみをして人に与えず、宝をむさぼり守ることに心身を苦しめる。そんなにまでして財宝を惜しんでも、死んで持って行けるものは何一つ無い(身一つで行かねばならない)」 「気が付いてみると、この世の中に一人で生まれてきた。そして、やがて一人で、肉体にもこの世にも別れを告げて去っていかなければならない。だとしたら、生きていることは一体どんな意味があるのだろう・・」 当然、その答えは、いくら考えてもその時点では出ようはずもなかったのです。 ただ、経験的に漠然と、今そのことに悩んでも生産的ではない。 そう、個としての自分を、孤立したものとして考えると、あまりに小さく、あまりに空しく、孤独で、さびしいのです。でも、最近はこの大無量寿経のさきにある、大きな宇宙、長い命の鎖の一部分として支えられて、一体となって生きている(活かされている)自分に思いたるようになりました。 私たちは、肉体という命の器にのって、自然と対立したり、孤立した存在として生きているけれど、私の中の生命は、長い、幅広い生命の連関で、自然と宇宙とつながっているのです。 たとえば、私に命を繋いだ両親がいます。その両親には、2人ずつ合計4人の祖父母がいます。その祖父母に命を繋いだ曾祖父母は8人このように計算してみると15代前には、なんと16、384人の生命が、一度もとぎれることなくバトンタッチを繰り返してきたのです。15代前というとひと世代25年として計算すると この一人一人が、絶やすことなく命を繋ぎ、精一杯に生きてきたのだと思うと 命の鎖を次の世代に引き継ぐだけでもたいしたことです。仮に、自分の子どもがいなくても、人類の生命の流れを側面的にでも支える事ができただけでも、やっぱりすごい事です。生きている事は、すごい事、有難い事、大変なことです。 そう考えると、 元々、私たちの肉体も140億年前のビックバンの時に宇宙空間にまき散らされた星のかけらなんだそうな・・・。まさに、私たちの存在は宇宙そのものなのだから、宇宙に抱かれて、ちっぽけな自意識を宇宙の中に溶かし込んで、生きてゆきたいものです。 高校生の頃、学校は受験一色でした。なんのために生きているんだろう、なんのために学んで知るんだろう・・と考えるゆとりはあたえられなかったのです。 だいぶ昔の調査だけれど、アメリカのジョンホプキンズ大学が国立精神衛生研究所の援助を受けて行った調査があります。その結果によると、78%の学生が自分の人生に意味と目標を見出すこと、有意義な人生哲学を作り上げることを、人生の第一の目標にあげています。 私たちの、生涯を通じた学びの目的もまさにそこにあるのでは・・人間を理解したい、人生の意味を手に入れたい・・そんな思いの中に。 私、という存在が、宇宙につながっている、そんな実感がもてたらとても安らかな気持ちになって、やるべき仕事、ミッションのために、力を発揮できるのではとおもうのです。 ひと塾リベラ 松井幸子 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年02月22日 19時02分41秒
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