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使えない学力 かなり前になるけれど、英語に関しては間違いなくトップクラスという評価をうけている大学の、英文学の教授が嘆いていた。 受験でパーフェクトに近い点数をとる学生が、実際には読解力が非常に低い。翻訳をやらせてもめちゃくちゃ。その原因として教授は、日本語での読解力の不足を挙げる。日本語できちんと本が読めない学生が、いくら受験英語を詰め込んでも、本当の外国語の力は身につかないのだという。あらためて、日本語の本を読むところから始めなくてはならないのだという。日本語がきちんと身についていなければ、英語も身につかない・・ということなのだ。だいたい、日本語の力がいい加減で、入試で高得点できてしまう、そんな日本独特の受験英語なる物が、ゆがんでいるのだ。 京都大学の理学研究科・上野健爾教授の「学力が危ない」によれば、京都大学の理学部の学生でも、わかっていないことが自分で判断できない学生が少なくないのだという。京都大学に入学してくるような学生ですら、「本当に理解できて回答しているのか疑いたくなるような答案が激増しているのだという。 上野教授によれば、 数学の問題を解いてから、解きっぱなしではなく、必ず答えが、矛盾した者になっていないか、とんでもなく考えられないような数値になっていないか、解を吟味するはずだし、少なくとも一回は別解で確かめをするものだと思うのだけれど、理解せずに、覚え込んでくると、自分の間違いにも気づけないのだという。 そこで、分かっていることと、分かっていないことを区別する作業を、高校時代、あるいはそれ以前にさかのぼってする・・そこから、大学の勉強を始めなくてはならないので、理科系であるにもかかわらず、数学や物理の講義が成り立たないのだという。天下の京都大学でこの調子だから、ほかの大学がどんな状況かは容易に想像がつく。 真剣に自分で考えて、゜腑に落ちた経験”をすることの大切さを指摘しておられるけれど、小さい頃から本当に「分かった」・・という喜びの経験が、欠落しているのかも知れない。子どもが一生懸命自分で考えて、 特に、生涯を通じての学ぶ力としての学力の低下は、日本の社会の将来を揺るがしかねない。 使えない学力を山ほど押し込んでも、何の役にも立たない。まず学ぶ力としての真の学力と学ぶことの喜びを、小学校時代から身につけないといけない。 ひと塾リベラ 松井幸子
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