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2007年04月20日
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テーマ:戦争反対(1189)
カテゴリ:世界と政治

年表 1930――1937
背景
 
  「廃娼・存娼問わず、「売春―性病」という衛生上の問題こそが売買春政策の焦点になっていた。 (5)。政府内でも廃娼によって私娼が増加し、性病の蔓延と風紀が悪化するのではないかと存娼を主張する内務省と、国際的体裁から廃娼を主張しはじめた外務省との間に、対立が起こっていていた」
(論題:「私たちにとって『売買春』とは何か ― 歴史的視点から ―」2004 年度 卒業論文指導教員:加藤 秀一学籍番号:01SG1055 氏 名:大川 直美)



日本の軍隊慰安所制度及び朝鮮人軍隊慰安婦形成に関する研究

著者:尹 明淑 (Yun, Myoung Suk) 論文審査委員:糟谷憲一、吉田裕、坂元ひろ子、中野聡
 第2章では、軍隊慰安所設置の前史として、日本の陸海軍における性病対策の歴史が分析される。戦前の日本社会では壮丁の性病感染率は無視しえぬ水準にあり、軍隊内における感染率も決して低くなかった。
(↓学位論文評価)
・・軍が慰安所に対する統制・監督の中心となっていた事実を克明に明らかにしている。また元慰安婦の証言にも依拠しながら、慰安所内部の非人間的な実態を生々しく描き出している。 (93年、96年の慰安婦たちの言葉から、少しも出ていないらしい。)





1932 慰安所の始まりの頃 
 
   上海では公娼廃止に向かっていた。しかし、国内では公娼廃止は私娼による性病増加につながるとして議論の最中。じっさい上海の公娼廃止は、私娼があふれただけに終わったらしい。
 (イエローバビロン 上海■参照■  「また公娼制度が廃止されても、ただ娼婦たちが街角や大世界に出ていくだけでした」)
 日本は別の形での公娼制(娼婦の登録・衛生管理制度)を現地で維持していたが、上海事変の勃発によって駐屯軍が増加したため、海軍は直営の慰安所を設置した。(このとき、貸席・貸し座敷とは、場所を貸すという売春業の呼び方)

 このサイトでは、以下のような紹介。  
『従軍慰安婦』吉見義明著によれば・・文中『資料集』とあるのは『従軍慰安婦資料集』吉見義明編の事・・陸軍はこの海軍を参考に1932年3月から慰安所設置が始まったと言う・・
---
上海では、中国政府が公娼廃止に取り組んでいたので、日本外務省も対面上これに協力せざるをえなくなり、二九年、貸座敷(貸席)制度を廃止していた。しかし、日本は実際には抜け道として料理店酌婦制度をつくっており、事実上の公娼制が維持されていた。後年のものであるが、三八年末に上海総領事館が作成した「昭和一三年中に於ける在留邦人の特種婦女の状況及びその取締並びに租界当局の私娼取締状況」には、「上海事変勃発と共に我が軍隊の当地駐屯増員に依り、此等兵士の慰安機関の一助として海軍慰安所(事実上の貸席)を設置し現在にいたりたり」とある(資料集34)。上海事変のときに海軍の慰安所が設置されたと言うのである

このときにつくられた海軍慰安所は数件程度であったと思われる。少しあとになるが、上海では、三六年末には、酌婦を抱える料理店は10軒(酌婦は日本人一〇二名・朝鮮人二九名)で、うち7軒が海軍専用であったという(「昭和十一年中における在留邦人の特種愚所の状況及其の取締」。『資料集』2)。この七軒は、「海軍下士官を専門として、絶対に地方客を〔民間人〕に接せしめず、且酌婦の健康診断も陸戦隊員及当館警察官吏立会の上、毎週二回専門医をして施行しあるの外、慰安所に対しては海軍とも協調を厳にし、且新規開業を許さざることとせり」(『資料集』2)というものであった。
海軍専用とし、性病予防のために、軍と領事館(外務省)が関与して厳重な検針がおこなわれていたのである。 この七軒が海軍慰安所であった。  (原資料では海軍慰安所は三件のはず。(以下の「1936末 上海の状況」と同じ原資料) この段階では、軍のみならず、外務省もまた軍慰安所の監督に関わっていた。

このような状況であったため、日中戦争がはじまると、海軍はいちはやく慰安婦を送る。赤松小寅福岡県知事の報告によれば、三十七年一一月三〇日付けで二名の朝鮮人女性が上海北四川路の「海軍慰安所酌婦」となるために福岡八幡署から渡航証明書の発給を受けている(「支那渡航者に対する身分証明書発給に関する件」。『資料集』4)。早くも日本から在日朝鮮人女性が慰安婦として連れていかれたのである。
---『従軍慰安婦』吉見義明著、岩波新書、15P~16P---

 


 1933年に実施された現地の中国人娼婦の罹患率は3割で、しかも治療に応じようとしないとある。
政府資料  98頁)




1936末 上海の状況
従軍慰安婦」関係資料集成」1~5   その5 36ページ
 上海の場合、抱酌婦のいる料理店(売春宿)には、軍の下兵専門の業者もあり、これらには軍・警察立ち会いの上、性病検査を週二回にしていたという。取り締まりを強化し、新規開業を許さない方針だったらしい。




1936
 
   思考錯誤 (指輪)  
アジアの真実・作られた「従軍慰安婦」(2)  
(現在、資料は時間が過ぎたので原サイトから消失しているが、左右のどちらも自分たちにつごうのいいものとして紹介し、毎日新聞のページURLを示して直接コピーしているようなので、資料としては確実。 というか、「慰安婦と戦場の性」に載ってるようだ。)
(原発表は、朝鮮新報(朝鮮総連機関紙)の2004年10月らしい。)
毎日新聞 2005年2月2日 大阪夕刊
上海・慰安所売春、勧誘手口全容を初公表--戸塚悦朗・龍谷大教授
1936年の業者有罪判決文、初公表--邦人女性証言も
◇「仕出屋の女中奉公」「月五十円親に送金できる」
 判決は日本人業者ら被告10人に、旧刑法の国外移送誘拐罪を適用し、最高懲役3年6月を言い渡した。戸塚教授が02年、2審の長崎控訴院判決と一緒に地裁判決の写しを長崎地検で入手した。

 地裁判決によると、30年から上海で海軍軍人を客に売春業を営んだ業者らは、32年1月の上海事変で駐屯軍人が増加したのに目を付け「海軍指定慰安所」を計画。長崎市などに在住の女性や娘を持つ親に「兵隊相手の食堂」「仕出屋の女中奉公」などと勧誘し、同年3~5月、女性15人を長崎港から上海行き船に乗せ慰安所で売春をさせた。昭和恐慌下で女性らは「百五十円位(現在の約30万円)を前借するも、二、三カ月にて完済し得て尚毎月五十円位親許(もと)に送金し得る(原文は旧仮名遣い)」などと言われ、集められた。

 予審判事らの尋問に対し、被告らは「女郎の如(ごと)き仕事をすると言えば嫌う者もある故左様な事は言わずに上海が景気なる故行きては如何(いかん)と申向けて勧誘」などと供述。被害女性らは「上海に行きたるところ同所は海軍軍人相手に専ら売淫(いん)をなす所なりし故(業者に)欺かれたる事が判(わか)り悲しくなり」「
逃げ帰るにしても旅費無かりし故仕方なく醜業に従事した」などと証言している。  (軍の売春強制でなく、軍に訴えるというほどの関係が慰安所にないと認識していたことがわかる。当時の日本人の、国との関係感覚、孤独な独立心、貧しい時代の常識感覚というものが想像できる。もっとも、「軍が相談を受けてくれなかった」、などとは言えなかったのかも知れず、軍も「親と話が付いている」と言われれば何も言えないのかも。)

 軍慰安所は、上海事変以降に設置されたとされ、上海総領事館の記録では、32年末までに海軍慰安所が17軒開業した。この慰安所もその一つとみられる。

  (この「指定慰安所を計画」とは、「慰安所を作って指定してもらうつもり」ということだ。)
戸塚教授は「慰安婦問題については『当時は公娼制度があり合法』とする主張があるが、判決が示す実態は甘言をろうした拉致だ」と指摘している。 【野上哲】

 ◇吉見義明・中央大教授(日本近現代史)の話
 慰安所には、特に朝鮮、台湾から仕事内容を隠し、貧しい女性を送った例が多い。今回の判決文は、慰安所制度が当初から違法行為を前提に成り立っていたことを示しており、法的責任を認めない日本政府の姿勢に一石を投じるだろう。
 
 (こういった教授達の歪んだものの言い方がよくわかる。)

1937後日談 ウィキペディアの書き込みから。(2004年11月5日 (金) 08:36以降) (原資料はWebから消滅)
+ [[朝鮮新報]]によると、この通牒に先立ち「[[1932年]]、[[長崎県]]の女性を「カフエーで働くいい仕事」と「だまして」中国[[上海]]の日本軍「慰安所」に連れて行った日本人斡旋業者に、刑法に基づき「有罪」とした最高裁判決(大審院[[1937年]])を発見公表した」そうである。[http://210.145.168.243/sinboj/j-2004/05/0405j1023-00002.htm]



   慰安婦まとめページ

参考文献
ネット上のものは、URLかリンクしたが、あとは、吉見氏の「従軍慰安婦」「従軍慰安婦資料集」、泰氏の「慰安婦と戦場の性」、尹氏の「日本の軍隊慰安所制度と朝鮮人軍隊慰安婦」による。








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最終更新日  2007年04月20日 22時41分59秒
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