時代は移る・・・・・!
縁もゆかりもないけれど・・・・! 私にとって高坂正尭氏と梅棹忠夫氏は思い入れのある学者先生である。 特別に関係などある筈はない。 唯、大阪万博を境にして同じ時空に 呼吸していたというだけのことである。 高坂正尭氏は京大の国際政治学者であり法学博士であった。 それより も大のトラキチとして有名であり1985年にタイガースが久々の優勝目前 の時にはあの高所恐怖症の先生が十津川にかかる有名な谷瀬の つり橋を渡ると約束して、そしてそれを無事果たしたのであった。 テレビに出てくると柔和な表情ながら歯に衣着せぬ国際政治・経済を 滔々と述べてけれんみがなかった。 惜しくも62才という年齢でその 人生を閉じられたのは痛恨の極みであった。 一方、梅棹忠夫氏も同じく京大。 一昨日90才でお亡くなりになった。 先生は生態学者であり民族学者、文化人類学を修め理学博士であった。 大阪吹田万博公園の国立民族博物館の初代館長をお勤めになられた。 初めて何も分らない私がこの博物館に足を踏み入れた時の驚きたるや、 こんなもの、エエッあんなもの、これもあれも、そうなの・・・? 何でえ? 初めてだぁ、こんなの・・・、どこからどうして集めた? 驚きと感心の連続であった。 世界は広いもんだなあって、あの時は 正直思ってびっくりした。 それから2回ほど友人を案内したりして訪問したがその都度新鮮な驚き があったものだ。 先生は1986年に失明して全盲になっている。 モンゴル旅行の際に菌に 冒されたとも言われるが大変お気の毒であった。 にも関わらず研究の 意欲は衰えず本の出版も相当数あった。 ご不自由なのによくもよくも 当たり前の様に頑張るものだといつも陰ながら感心していた。 学界では ”巨星落つ” と表現する人もいるほど彼の下からは100人 に近い学者が輩出されている。 一つの時代を画した人と言えるのでは ないだろうか? National Museum of ethnology, Japan 話は変るが昨年まで年末の忘年旅行でお世話になった北陸あわら温泉 ホテルの支配人が7月から十津川温泉のとあるホテルに移籍してきた。 あれだけ、もう暫くはここを動くでないぞ・・・と申し付けていたのに、 である。 日本海の珍味ももう味わえないと思うと胃がうづく。 奈良の山奥の珍味は何があるのか知らないが温泉だけはいいらしいから 年寄りは食い意地張らずに温和しくせいということだろうかや?