「お箸」のこと
我が家では箸(はし)と呼び捨てにはしない。ちゃんと「お箸」と呼ぶ。 「お膳」(丸い直座りのテーブル)もそう。北海道は岩見沢の貧乏鉄道 長屋の家庭であったが言葉はそれなりに丁寧だった。 さてそのお箸には苦い思い出と少しの自負がないまぜにある。私と家人 は共に正しいお箸の持ち方は出来るし二人の息子もちゃんと持てる。 それは私が息子たちが小さい頃からうるさく注意したからである。でも その都度家人が「ご飯を食べている時に言っちゃいけない」と言うので いつも口喧嘩になった。それじゃいつ教えるのと!家人の言う通りに その場で教えなかったら多分未だに中尾彬や鶴瓶みたいになっていた だろう。彼らは家人の様な優しいか無頓着かどちらかの親の下で育った に違いない。鉄は熱いうちに叩かねば望ましい形にならないのである。 グルメ番組に出てくる中尾彬はひどい箸の持ち方をする。同じく鶴瓶は もっとひどい。N〇Kの「家族に乾杯」に出てきて全国あちこちゲストと 歩きまわり土地の美味しいものを食べるシーンがあるがあれを見せられる たびに、もうお前、人前で食うな!。鶴瓶も初めの頃は謙遜的なところも あってよかったが最近は鼻についてしょうがない。オレを知らんのかという 奢った態度が鼻持ちならない。あの番組は地方の習慣やら素朴な人柄の 人たちとその方言などが親しみを呼んで非常に好ましいのだがそんな事で 最近はパスだ。「トコロさんの日本ダーツの旅」の方がよっぽど心温まる。 話が横道に外れたが、近年日本食ブームで沢山の外国人がお箸を使う様に なっている。中には完璧な箸づかいをする外国人を見るがすばらしいと思う。 あれは練習であるし馴れだし心掛けなのである。ちゃんと持とうと意識するか しないかで完成度が違うのだ。 こう言うと必ず反論する人間が出てきてそんなもの食べるものが口に入り さえすればいいじゃないかと屁理屈を言う。本人はちゃんと持てないのだ。 努力をしなかったのだ。開き直るのはみっともない。今からでも遅くはない。 一ヶ月でも練習してりゃ~ちゃんと持てるようになる。努力してちょうだい。 お箸をちゃんと持つと左脳の働きが良くなると言われているんだよ。