私の耳は年中シ~シ~鳴っている
BGMみたいなもので馴れると空気と変わらず気にならないものです。 改めて意識すると我が耳は両耳ともシ~シ~と鳴り続けているのです。 じゃ~他の音声が聞こえないかというとそうではなく人の話でもコン サートでも十分聞こえるのであります。耳鳴りというやつでしょう。 考えてみるに、聞きたくない音声は本当は聞けないような耳になっていた としたらどうだろう。象の様に、河馬の様に!象はあの通り耳を動かし 音の聴覚の調整ができるのではあるまいか、河馬に至っては完全にそれ が可能の様に思う。動物学者じゃないから定かではないからいい加減な ことは言えないが河馬は水に潜るから耳を塞いじゃう。当然聞こえない に違いないのだ。 欧州で乗り物に乗ると静かである。いつ発車するとか次はどこだとか電車 もバスも何も言わない。不親切だと言えばそうだけど静かさを求める人には 心地よい。出発時間とか行き先は自分で調べておけといういい意味での個人 主義のなせるわざに違いない。そこにいくと日本では次はどこそこだとか 駅では白線から下がれだの次は普通だ特急だ何時だとのべつ幕なしに 音声が喧しい。日本人は騒音にれている、否、馴らされている。 聞きたい時に聞けて聞きたくない時は耳たぶを閉じれたらどんなに便利か と思うのである。だって目は見たくないときは閉じればいいし、鼻だって 臭いニオイは嗅がないで済む。食べたくないものは口に入れなければいい。 耳だけが遠慮会釈なしに音声を取り込むようになっているのだ。 耳にフラップでもついていて不都合な時は覆うようになっていたら便利では ないだろうか。そんな事を妄想したりする。と、隣のオッサンがお前みゃ~ さん聞きたくなかったら耳栓でもすりゃ~いいべ!そない言われたら身も蓋 もないべさ。