日々つれづれ
今日は閏29日。恐らくこの日を誕生日にしている人はいないでしょう。 今日もし生れる子供でも3月1日の誕生日にすることでしょうね。そうで なくてはその子供さんが可哀想です、4年に一度しか誕生日がないんで すから。 はて、もう今年も2ヶ月が過ぎるのですね。疾いものです。あっち向いて こっち向いたらもう3月という感じ、年齢の所為でしょうか。古人の物書き にもたくさん月日の疾さを憂いた人が多かった。若いうちはそんなことは 感じないから多分そういう年齢に立ち至って書いたものでしょうね。 二十歳くらいの頃は早いこと嫁さんもらえる年齢になればいいなあと健全 なる若者並に思っていました。単純でしたね~、嫁さんもらうにはそれなり の蓄えも要るなんて考えてもいなかった。適齢期に近づくにつれなかなか 思うようにならず結局は見切り発車の様な懐状態で結婚した。 幸い会社が絶好調で年に夏冬のボーナスと3月の決算期ボーナスと当時 は一流商社並の給与水準であったので助かった。 順風満帆であった人生も自らの舵取りの誤りにより挫折していくのである。 過信と慢心でしょう。独立して失敗したり友人の助けで復帰したりして定年 の年齢を迎えることになる。流れに棹せばよかったのにそれをしなかった。 折角の流れに乗ればこそそうではなく逆らったのだ。人生一度きりの好機 と思ったのが結果は逆に挫折を招いてしまう、不徳の至りであった。 もう一度人生、やり直しが利くとしたら今度はちょっとくらいマシな仕事が 出来そうに思うがもう時すでに遅しである。 考えてみれば時世のお蔭で戦争もなく穏やかな環境で貧乏でもそれなり の生活が出来ているのは幸せな事である。これから子の時代、孫の時代 が如何なってゆくか出来るだけの事をしてあげるだけだ。