「江戸城無血開城」
爽やかな朝。私の性格のごとし?この2~3日鬱陶しい日が 続いていたから尚更。「プレパト」の夏井先生ならさしずめ 「秋めく」「新涼」「秋麗」「秋され」「秋の野」くらいの言葉 思いつけよとお叱りになるかも知れぬ。俳句に関心のない人間 なら、”何のこと?”だが五七五の短い言葉で自然やそれに関る 人の機微を詠う季語である。 私は俳句の素養はないが友人はそんなグループに所属して楽し んでいる。”柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺”こんな俳句なら皆さ ん学校で習っただろう。「柿」が秋の季語なのである。 まあ、それはいい。今朝も例によって心は軽快だが身体は鈍重 とウラハラのまま小一時間公園を周回してきた。彼岸花が毎年 増えている様で不思議である。私は種子を飛ばして自ら繁殖す ると思っていたらブログを読んでくれている友人が、”違うよ、 彼岸花は球根だよ”と教えてくれた。それじゃ球根がどうやって 拡繁殖するのか分からない。球根が地中であっち行ったりこっち 行ったりするもんだろうか。どなたか教えて下され。 日本の黎明、明治維新。幕府側にあって江戸城無血開城に導い たのは山岡鉄舟と勝海舟であったのはご存知であろう。二人共 文武両道の幕府の御家人であったが共に軽妙洒脱な人物であった らしい。 世界中どこの国だって政治体制が変わるのに無血だなんてあり得 ない。戦が起こり多くの人が犠牲になり庶民生活が蹂躙されるも のである。それがこの二人の尽力により一滴の血も流れなかった のだから立派なもんだ。世界に類を見ない政権譲渡であった。 その山岡鉄舟が臨終の際勝海舟がお見舞いに行き「どうです先生、 ご臨終ですか」と問うと鉄舟少し目を開き笑みを浮かべ「さてさて 先生よくお出でくださった。只今涅槃の境に進むところでござる」 と苦もなく答えた。そこで勝海舟は「よろしく成仏あれよ」と言い 去ったという。年譜によると海舟は鉄舟より13才上だからその時、 65才であった。 どこまで本当の話かは知らないが如何にも洒脱ではないか。 死の直前、鉄舟は浴室に行き身を清めて座禅を組んだまま大往生を 遂げたという。53才、今で言う胃がんであった。 辞世の句は「腹張りて苦しき中に明烏(あけがらす)」何という 大人物であったことか!何という清々しい死に方であったろう。 爪の垢が残っておったら私めに少しでいいから下され。