中曽根康弘さんお悔やみ申しあげます。
巨星墜つ!という言葉が相応しいのだろう。101才の長寿を全うされ ました。私が何より印象深いのはサミットで写真を撮る時に、当時の アメリカ大統領ロナルド・レーガンの隣に割り込んで立ったことでした。 あれは立つ順番が決まっていると思うのだけど中曽根さんは強引にレー ガンの隣に位置を占めたのでした。あと思い出すのはレーガン夫妻が来日 した時に箱根かの別荘で綿入れのチャンチャンコみたいなものを二人して 着てロン・ヤスと呼び合い炉端で寛いでいた姿を今も彷彿とします。 中曽根さんは戦後の首相としては毀誉褒貶の人だったと私は思っている。 兎に角勉強家で演繹志向の人であった。自分の信念に基づいて政策を敢行 していった積極的な政治姿勢はそれまでになかった破天荒なものと言える。 電電公社の民営化から日本専売公社の民営化を手掛け、極めつきは当時の 東芝の会長土光敏夫氏を起用して国鉄の民営化を計ったことであった。 土光敏夫さんの質素な一汁一菜の生活が取り上げられたのも当時の話題で あったり、運転手つきの送迎ではなく電車通勤であったことも国鉄民営化 の追い風であったろう。あんな偉い人があのようなつつましい生活をして おられるなら、私たちも贅沢なことは言えないと多くに人に思わせた。 85才の時、無理やり当時の小泉純一郎総理に国会議員を引退させられ憤慨 してインタビューに出ていたのを思い出す。私は小泉氏の意見が正しいと は思いますがね。暇が出来るとプールで水泳をするのが健康維持の秘訣だ ったみたいだし、ものすごい読書家であったのも聞こえていた。 毀誉褒貶のマイナス面では、この中曽根康弘氏はあのバブルを引き起こした 張本人であったことである。アメリカのレーガンの言うことを聞いて2兆円を 内需拡大のために日本市場にバラまいたのであった。その結果は高度経済成長 を更に煽ってバブルを引き起こしそしてやがてそれが崩壊して多くの国民に 借金を背負わせた。都市銀行の北海道拓殖銀行が破綻したり山一證券が潰れた のもその頃である。私もバブルに乗って銀行からカネを借りゴルフの会員権を 買った。数年楽しんだがやがてゴルフ場が破綻し損金が残された。ニャロメ! 泉下の中曽根康弘さんはバブルについてはどう思っていたのだろう。アメリカ の言うことを聞いて金融緩和をやったことが日本の経済にどれだけのマイナス を惹起したかは彼にとって痛恨のダメージだったろう。勉強家の彼にして東大 法学部卒の俊才にして読めなかった生涯の失態だったのではないか。