懐かしい香港がなくなった!
1997年はアヘン戦争終結から100年の年。英国の統治が香港を育て、シナで あった香港が西欧流の民主主義・自由主義に変わって育っていったのです。 私が香港を年に2回訪れたのは友人が香港法人をつくって独立し、対米貿易を 中心に従業員10名ほど雇用して事務所を持っていたからです。 彼はアメリカの輸入商と組んでかなり大きな商売をしていました。私はそんな 彼の生産背景を使って日本への輸入をしていたのです。ジーンズとかセーター など主な工場は当時の中国本土にありました。主に広州でしたから商品の検品 へは香港と中国の国境である深圳で中国鉄道に乗り換えて広州の工場へ行きま した。 まだまだ中国は経済的に貧しい時代で、深圳の駅を出ると赤ん坊(借りた) を背負ったオバちゃんがおカネをセビりについて離れない状態。駅には仕事に あぶれた男女がわんさかと鈴なりになって降りてくる乗客を凝視している。 駅前のタクシーはお客の取り合い。まあまあハチの巣をつついたような状態で ありました。1997年の香港返還の前後はそんな時代でした。 あれから23年、今では深圳も中国IT企業の中心地で華為ファウエイの本社も あるような一大企業地として成長しているようですが、20年前はそんな貧しい 状態でした。中国は20数年で物凄い進歩を遂げました。技術を学び、奪い学生 を留学させ学び取り本国に持ち帰る。なりふり構わず経済成長を遂げてきた。 アメリカのクリントン・オバマの民主党政権はそんな中国を応援しカネ儲けさ せ、やがて自由主義国と仲良く出来ると思ったのでしょう。ところが中華思想 はそうはいかなかった。中国共産党は自民族中心主義で牙を他国に対してムキ 出し始めました。これはアメリカの民主党も大いなる誤算だったでしょう。 1997年返還前の香港はいい意味でカオス混沌とした都市でした。狭い土地に ビルが林立し、九龍(尖沙咀=チムシャッチュイ)も香港島サイドもどこへ行 っても人でいっぱい、美味しい食べ物屋もあり、西欧の高級ブランド商品に溢 れ、飲み助にはカラオケ(ホステスがいる)もあり、ナイトクラブには西洋、 東洋、世界の美女が侍っている。料理も世界の料理が揃っていました。特に 広東料理、北京料理、四川料理、上海料理など中華料理なら粒ぞろいでした。 日本の寿司屋だってあちこちにありました。 それに香港はシンガポール、上海と並んでアジアの金融都市であり、世界の 資本が集まっていました。 それがですよ。中国共産党はイギリスとの約束(1997年の返還から50年,即ち 2047年までは民主主義・自由主義体制を保つ)を破り本土の体制に取り込ん でしまったのです。香港から海外の資本が逃げ出しました。香港の金融機能は 失われました。民主主義も昨今の騒乱で弾圧を受け、本土の共産党体制に移行 させられました。香港の持っていた魅力はなくなってしまいました。 国家間の約束を守れない国は世界のどこの国からも信用されません。韓国とて 同じこと、1965年の日韓請求権協定を守らない国とは話し合いも出来ないの です。アジアにはどうしてこんなならず者国家が2つもあるのでしょうかね。 日本はしっかりしなければなりません。