睡眠薬を飲んだけれど・・・
日中寝すぎたせいで、まだ薬が回りません。 思ったことを羅列します。 さっき書きましたが、十年以上の旧友で、北上から愛知まで一緒に何回も来るまで移動していた人にダメだしを食らってショックです。 当時は、1600ccのクロカン。スポーツドライビングをしても彼も私の運転に慣れて付いてきました。 病気をして三年。一緒に行動を共にしていません。しかも、ディスコで事故を起こしたときに運悪く同乗していて巻き込まれました。 彼の言葉は、それに起因すると思います。 また、別の専門学校の先生で、現在仕事を請けている方からは「カメのドライビングは凄い。俺も負ける。」 とドライビングに関しては絶対の信頼を勝ち得ています。 ソレというのも、高知県、物部村でイベントを行っているときに・・・イベント会場が山頂付近で、大事な資料を山腹の公民館に忘れてしまって大慌てしていたんです。 そこを往復すると、普通の人で二時間かかりました。でも、イベントの開始が30分後です。 私は、ボランティアで参加していましたが、学生のときの上下関係。しかも、車好きのスタッフも大勢いるのに先生は私を指名しました「カメ、全力で走行できるか?いいか無理は禁物だけれどお前に任せる。資料を取って来てくれ」 そう言われ、私は愛車X-90で麓まで降りました。資料を取って戻った時間はきっかり30分。 皆「信じられない」と言ってました。 車好きの先生も、これで私のドラテクを全面的に支持してくれました。(今もって、お前のドラテクは異常だ)と良い様に支持してくれています。 高々1600ccです。それが二時間の道を30分で往復の理由は、他でもない、一度通った道なら完璧に覚えて、しかも一人で運転するときは全開で(100%)で走ったからです。 もちろん、クルマは常に流れっぱなし、スライドしながら加速します。・・・楽しかったなぁ。 ちなみに、彼女をゲットしたのも、そのクルマのお陰。「ねえ、乗っても良い」と言われ、乗せてあげました。そのときは、安全運転です。 今でも、電話でその先生とは話をします。仕事の話、クルマの話。女の話が無いのが悲しいかな? でも、学生紹介するからお前のとこで合宿させてやってくれ! とも言われています。 学生時代、その先生とは対立していました。ですが、先生が私の知識、レベルを認めてくれて、そして趣味のクルマも認めてくれて、卒業後10年。今じゃ、何かあると「かめー」 と連絡があります。「俺の会社に来いよ!」 とも言われましたが、病気を理由に断りました。 それでも、仲良く連絡を取ってくれます。 なぜか? 去年の小笠原で、酔った勢いで問いました。 すると、「お前の技術は認めている。お前が、しがない会社に就職するのはもったいない。動物、自然環境に貢献できる力がお前にはある。だから俺は、お前を今は一番かっている」 そう言われました。 結婚して家族を持った同僚より、何時までもフリーでいる同僚より、それは私にとって甘美な言葉でした。「お前が田舎に引越ししても、お互いに協力して出来ることはある。金銭的には苦しいかもしれないけれど、その田舎で、自然環境保全の第一人者になれ。お前なら出来るし、俺も応援する」 今、しがない運送屋で広報していますが、私は戻りたい・・・。現場に。 道なき道を動物を追いかけて、そいして世界遺産に係わる調査に参加できるだけで誇りを感じます。 「会社、もし辞めなければいけないのなら、付いていきます。ですが、仕事を回してください。」 いま、先生にはそう言ってます。 愛知万博のせいで、忙しいみたいですが、ソレをこしたら少しは仕事を回していただけると信じて・・・。 しかも、先生の仕事は離島関係が多いんです。 いくら私が、全国制覇しても、離島の経験は薄いんです。 野生生物調査員、カメラマンとして、早く病気を治し第一線で活躍したい物です。 PS:先生の名前は、仁井さんと言います。BE-PALでも良く登場しますし、ネットで検索すれば出てきます。 先生は、バリバリの調査員ではありません。コーディネーターが主な仕事です。ですが、調査員としても腕は確かです。 そんな先生に、鳥ならカメを置いて他に居ない。とお墨付きを頂いていることは誇りに思います。 カメラも、やっと認めて頂きました。 今は、一眼のデジカメが主流ですが、私はニコン派、先生はキャノン派です。おもな違いは、キャノンはオートフォーカスが凄いんです。ニコンはダメ、なのでマニュアルで撮ります。そのマニュアル技術を褒めていただきました。また、動物の構図も「負けた」 と言われました。それでも、先生もバトルを仕掛けてきます。同じ被写体を一緒に撮ってPCで確認して、あーだ、こーだ美術的な確認をします。 病気もつらい、でもそうやって自分を見て、買ってくれる先生が居ることを誇りに思い、付いて行こうと思います。 そんな私も、修行時代がありました。 車の運転、写真の撮り方、調査の仕方、コーディネイト・・・。企画書、交渉担当。 今思えば凄く役に立ってます。当時は蹴られ、罵倒され、仕事になりませんでしたが・・・。 サラリーマンとは違う世界を生きてきました。 今、サラリーマンになろうとしていますが、自分の中ではあの混沌とした生き物の世界に、カメラの世界に戻りたいと痛切に思っています。 例え、貧乏でも好きな事に情熱を燃やしている人は輝いています。 自分も、そんな輝きを失いたくありません。 そんな形で夢を実現できるか分かりませんが、やってみたいと思います。 ソレより先に、人生のパートナーを見つけるのが先決かな?