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March 10, 2005
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カテゴリ:ニュース
岡部騎手が引退。
38年間トップを走り続けるってすごい。

自分がプロの職業人として生活しはじめてようやく、
その凄さがわかってきた気がします。

「馬から競馬を教わった」
馬の声、馬のメッセージを聞きながらレースをしていたという
岡部騎手だからこそ言える言葉なんだと思います。

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☆報道記事☆

“馬優先主義”貫いた孤高の名手

 決して剛腕ではなく、派手な追い込みなどもみせない。騎手・岡部の凄さは?こんなテーマがよく議論されたものだ。
真骨頂は「オカベポーズ」だった。さっと好位につけ、4コーナーで悠々先頭に立つ。手綱は絞ったままで、ちらりと後ろを見やる。
馬が強いから。確かにそうだが、岡部は馬の気持ちに乗れる数少ない騎手。それなくしてなし得ない究極のライディングスタイルでもあった。

 シンボリルドルフで臨んだ84年のダービー。3コーナーで手応えが怪しく感じた岡部は珍しく焦ってゴーサインを送った。
その時、「しっかりつかまっているだけでいい」とシンボリルドルフがささやきかけてきたという。
それ以来、ルドルフの教えにこだわり続けた。相棒の馬には常に辛口だったが、心の中では競走馬たちを誰よりも尊敬していた。

 「馬七、人三」といわれる。走るのは馬、無理に走らせようとするな、という教えだ。
時にはこれが逆転する。騎手がうまく乗って勝つ。しかし、岡部は決して「馬三、人七」にしようとはしなかった。
50歳を過ぎてからも騎手会長の重責を果たしながら毎朝の調教に休みなく乗り続けた。
若い馬の欠点を根気よく矯正する。成果が上がれば「幼稚園児がちょっとだけ勉強したようだ」とうれしそうに語る。そして、レースではあくまでも馬優先の騎乗を目指した。

 寡黙で、人とのつきあいは苦手としていた。孤高の名手は、常に馬との会話だけを楽しんでいた。
現役最多勝利が、ルドルフとの7冠が凄いのではなく、競走馬に接するそんな姿勢が凄い。
勝負の世界にあって、勝つだけでなく、その前の過程の大事さを求め続ける姿勢が後輩たちの最良の指針となってきた。

 肉体的な限界、プライド…。引退の理由はそれだけでは不十分だ。このまま乗り続ければ馬たちに悪い影響を及ぼす、そう感じての決断ではないか。(レース部長・桜井 裕夫)
(スポーツニッポン) - 3月10日6時2分更新

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56歳岡部騎手引退、JRA最多2943勝
【写真】シンボリルドルフでダービーを制し表彰式でポーズを取る岡部騎手
 
 現役最年長の岡部幸雄騎手(56)が引退を決意したことが9日、明らかになった。
厩舎に所属しない「フリー」の草分けで、7冠馬シンボリルドルフや仏G1を制したタイキシャトルとのコンビで世界をまたにかけて活躍。長年騎手会長を務め、技術、精神両面で若手に手本を示した。
38年間でマークしたJRA通算2943勝は史上最多。今日10日、都内のJRA本部で会見を行う予定だ。

 生涯現役を貫こうとした名手も、56歳の年齢には勝てなかった。
岡部は2月20日の東京開催で騎乗を終えた後、引退を決意。翌21日に恩人として慕う兄弟子の高橋英夫元調教師(86)を訪ね、引退を報告した。
「寒さで参ってしまって体が耐えられなくなった。限界を感じたのでやめます」と告げたという。
高橋氏は岡部がデビューした67年に1年間だけ同じターフで腕を競った。
岡部と同い年の長男を亡くしていた高橋氏は持てる技術を伝授し、薫陶を受けた弟弟子は騎手としての礎を築いた。
高橋氏は「よく頑張ったな」とねぎらいの言葉をかけた。

 38年間に渡るジョッキー人生で蓄積した疲労は頂点に達し、体は悲鳴を上げていた。
最後の騎乗となった日の最低気温は3・1度。脂肪をそいだ現役最高齢騎手には過酷な条件が襲った。
ベストの状態で騎乗できなければファンを裏切る結果になる。自らを厳しく律してきた男は、引き際を察知した。
体力の衰えを気力と騎乗技術で補ってきたが、近年はひざの故障を抱え、毎週リハビリを続けながら週末を迎えていた。

 岡部は今では大半を占めるフリー騎手の先駆者として新風を呼び込んだ。
厩舎に所属して自厩舎の馬に優先して騎乗する昔の慣習を打破し、自由な立場でさまざまな厩舎の依頼を受けた。
シンボリルドルフで7冠達成をはじめ、オグリキャップ、トウカイテイオー、タイキシャトル、シンボリクリスエスなど多くの名馬で国内G1・31勝、重賞165勝、28年連続重賞勝利、最年長G1勝利といった記録を樹立した。
特に「競馬を教えられた」と述懐するシンボリルドルフは皐月賞の表彰式で指を1本立て、ダービーでは2本と多冠制覇を予言し、最後の有馬記念では7本指を掲げた。
またタイキシャトルで仏G1ジャック・ル・マロワ賞を制した後は、クールな男の目から涙をあふれさせた。

 日本競馬の発展に力を尽くしてきた岡部は、今日会見して心境を吐露する予定だ。今後は未定だが、調教師の道は考えていない。(日刊スポーツ) - 3月10日8時46分更新

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同期柴田人師、もう少し乗ってほしかった

 引退を決意した岡部幸雄騎手(56)と馬事公苑の同期で現役時代ライバルとして切磋琢磨(せっさたくま)してきた柴田政人師(56)は、3000勝を目前にした友人のリタイアを重く受け止めた。
「体力的に難しいのかな。きっかけがあってのことだろうが、もう少し乗ってほしかった。衰えは見えなかったのに」。
10年前の95年、落馬によるケガの後遺症が引き金になって引退した同師は、50歳の半ばを過ぎてもトップジョッキーとして後輩に手本を示す同期を誇りに思っていた。

 合理主義でフリーの道を切り開いた岡部に対し、柴田政人師は厩舎の師弟関係を重んじた。
「考え方は違うが、目指すものは一緒。だからライバルとしてやってこられた」。
2人は毎年のようにリーディングを争った。レース中ふと気が付くと、必ずお互いが近いポジションにいた。よき競争相手で理解し合える仲。
だから、同師は引退まで務めていた騎手会長を岡部以外に委ねることは考えられなかった。
「後を引き受けてくれないかと頼んだ。彼が引き受けてくれたおかげで、自分も辞められた」と今でも感謝している。「残ったジョッキーは気を引き締めて頑張ってほしい」。
昔の岡部の騎乗スタイルは現在のスマートなフォームと違い、あぶみが長く決して格好は良くなかった。しかし、そのスタイルで基礎を磨き、研究を重ねて馬に負担が掛からず御しやすい騎乗法を身につけた。
妥協せずに精進する姿勢。騎手のバイブルを失うことを、柴田政人師は残念に思っている。(日刊スポーツ) - 3月10日8時46分更新

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岡部騎手、3000勝目前で引退 シンボリルドルフで7冠!タイキシャトルで世界制覇

 競馬界が誇る偉大なるジョッキー・岡部幸雄騎手(56)=美浦・フリー=が前人未到の3000勝を目前に現役引退することが9日、分かった。
日本中央競馬会(JRA)歴代1位となる2943勝を挙げている名手は体力の衰えを気力と技術でカバーしてきたが、先月20日の騎乗を最後に体調不良で休養していた。
10日に東京・六本木のJRA本部で正式に引退を表明、名手が静かにムチを置く。

 その時がやってきてしまった。
天皇賞・春のグリーングラス、オークスのダイナカール、7冠馬シンボリルドルフ、ジャパンカップのトウカイテイオー、菊花賞のレオダーバン、ビワハヤヒデ、安田記念のタイキシャトル、天皇賞・秋のシンボリクリスエス…。
数々の名馬で競馬ファンならずとも多くの日本人に夢を与え続けた「生涯一騎手」がついに実働38年の現役生活にピリオドを打つ。
56歳4か月。競馬界の歴史を次々と塗り替えた岡部も体力の限界を知るところとなった。

 1967年3月4日、東京競馬場でヨネノハナでの初騎乗(3着)以来、通算1万8646回の騎乗で積み重ねた勝ち星は2943。重賞勝ちは165。
GI勝ちは31(84年のグレード制導入前にGI級4勝)。
海外勝利は13。98年にはタイキシャトルで仏GIのジャック・ル・マロワ賞を勝った。

 レースだけではない。現在では主流となった鞍の下に置くラバーを導入したり、代理人的な役割をする関係者と円滑にスケジュール管理をする先駆けともなった。
豊富なレース経験と海外経験などから生まれたアイデアをみても岡部の貢献度は計り知れない。

 50歳を超えても第一線で戦ってきたが、数々の勲章は同時に岡部の肉体を消耗させていった。
02年の有馬記念後、左ひざ半月板の手術を受け、その後は右ひざ亀裂骨折などのアクシデントも重なり1年以上も休養。
昨年1月25日、不死鳥のごとく399日ぶりに復活。頭を丸刈りにしてまで臨んだ岡部は、唯一取れなかったクラシックの桜花賞を後に勝つことになるダンスインザムードで復帰後初勝利。男泣きする姿に多くのファンはもらい泣きした。

 昨年は60勝(地方重賞1勝を含む)。今年は95戦して3勝していたが「寒さの影響もあり、体がきつくなってきたため暖かくなったらまた騎乗する」と2月20日を最後に休養に入っていた。
3月には今年度の騎手免許も更新しており、関係者も目標の3000勝達成目前の突然の引退に驚いていた。

 すでに一部の関係者にはあいさつを済ませているといわれ、10日に会見を開いて引退理由を説明する。
多くの勝ち鞍を積み上げながらも「印象に残る一頭は初勝利のミスコロナ」と初心を忘れず、同期生が引退や調教師に転身しても最後まで「生涯一騎手」を貫いた。
「ラストライド」を見せることはできなかったが、ファンの思いは同じだ。
「ありがとう、岡部騎手」―。

◆岡部 幸雄(おかべ・ゆきお)1948年10月31日、群馬県生まれ。56歳。
中山の鈴木清厩舎からデビューし、67年3月にヨネノハナで初騎乗(3着)。
同年5月にミスコロナで初勝利を挙げた。
86年1月には1000勝、94年12月には2000勝を達成。
翌95年には増沢末夫さん(現調教師)の持つJRA最多2016勝を更新。
中央競馬の第一人者として活躍、海外にも積極的に参戦した。
JRA2943勝のほか、地方25勝、海外13勝。
柴田政人、伊藤正徳(ともに現調教師)、福永洋一さんらは騎手養成所時代の同期生。
家族はまり子夫人と2男3女。趣味は釣り、ゴルフ。161センチ、53キロ。血液型A。

岡部という男
 岡部騎手の知られていない部分で深く印象に残ることは長い間、報知新聞社の社会福祉事業団に寄付を続けていたことだ。
馬事公苑15期の同期生、柴田政人、伊藤正徳、作田誠二調教師、元騎手の福永洋一さんらがポケットマネーを出し合い「世の中に役立ててほしい」と地道に行っていた。
今は途絶えてしまったが、勝負の世界にいる男たちの心温まるエピソードの一つだ。

 ほぼ同じ年齢ということで、競馬の世界へ入った当初から間近で見てきた。
とにかく「馬ひと筋」という印象で早くから海外志向が強かった。
英会話の家庭教師を雇い、積極的に米国遠征を続けて自らの可能性を求めてきた。
世界に通用する馬、騎手を育てることが競馬界を引っ張る男として心にあったからだ。

 仕事に忠実過ぎるのかとっつきにくい部分もあった。
ある馬の取材で自宅まで押し掛け、「何でここまできたの…」としぶい顔をされたものだった。

 昨年1月、長い休養から399日ぶりに復帰して勝利を挙げたときの涙は決して忘れることはできない。
思わず私の目頭も熱くなったものだ。(石井 誠)

◆岡部のNO1記録 
歴代最多勝のほかに、
最年長GI勝利(53歳11か月28日=02年天皇賞・秋)、
28年連続重賞勝利(75~02年)、
通算最多騎乗(1万8646回)、
重賞最多騎乗(1252回)は今も破られていない。

(スポーツ報知) - 3月10日14時40分更新





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Last updated  March 11, 2005 01:58:01 AM
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