テーマ:ニュース(100265)
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うーん・・・訃報続きですね・・。
よく親が「奥目の八っちゃん、ゆうてのう~」と岡八朗さんのことを話してました。 ぱんとこも、吉本新喜劇と松竹新喜劇の区別もつかないくらいの小さい頃に、 ちょこっと見たことがあります。 でも、関西の大スターであることは、そんな小さなぱんとこにもわかりました。 悪者に対して、「すきがあったらかかってこんかい!」と ヘンテコな空手の構えを見せるのが好きでしたね。 味方さえびびるヘンテコさ。 「・・・おまえ、どこでそんな技習ったんや~・・」「通信教育」みたいな。 うろ覚えですが、そんなんだった気が。 その後、吉本が東京進出したり、吉本自体がどんどん変わっていく中、 岡さんはどんな気持ちだっただろう・・・と思います。 ぱんとこですら、なんとなく違和感をもっていたくらいだから。 ぱんとこは当時子どもすぎてよくわかっていないんですが、 岡さんの位置に、いつのまにか寛平ちゃんが立っていて(芸風も含め)、 しかも寛平ちゃんは全国区になって・・ そんなのも、岡さんはどう思っていたのかな・・とか。 でも、たぶん、いま活躍してる中堅どころ以上の吉本の芸人さんは、 まちがいなく岡八朗のいる頃の吉本で育った人達、 あるいは、岡八朗を見て芸人として育ってきた人達なんだろうな。 【報道記事】 吉本新喜劇の黄金期支える…岡八朗さん死去 「奥目の八っちゃん」の愛称で親しまれた元吉本新喜劇座長の岡八朗(おか・はちろう、本名・市岡輝夫=いちおか・てるお)さんが、26日午前5時20分、肺炎で亡くなった。67歳。 告別式は28日午前11時30分から兵庫県尼崎市東難波町5の17の30ベルコ尼崎駅前ホールで。喪主は長女、市岡裕子(ゆうこ)さん。 尼崎市生まれ。高校卒業後の1960年に吉本新喜劇(当時、吉本ヴァラエティ)の1期生となり、30歳で座長に起用された。コミカルな動きとともに発する「くっさー、えげつなー」「すきがあったらかかってこんかい!」などのギャグと人情味あふれるキャラクターで、花紀京さん、原哲男さんらと吉本新喜劇の黄金時代を支えた。 退団後はテレビや映画、舞台で活躍する一方、胃がんなどで闘病生活を送っていた。 (読売新聞) - 7月26日14時13分更新 岡八朗さんが死去 吉本「奥目の八ちゃん」 「奥目の八ちゃん」の愛称で親しまれたコメディアンの岡八朗(おか・はちろう、本名市岡輝夫=いちおか・てるお)さんが26日午前5時20分、肺炎による呼吸器不全のため兵庫県尼崎市内の病院で死去した。67歳。兵庫県出身。葬儀・告別式は28日午前11時半から同市東難波町5-17-30、ベルコ尼崎駅前ホールで。喪主は長女市岡裕子(ゆうこ)さん。 俳優修業をしていた21歳の時、花菱アチャコの推薦で吉本新喜劇に入団。一時期、浅草四郎と漫才コンビを組み人気を得るがコンビを解消、新喜劇に戻った。独特の風ぼうと「えげつなー」「くっさー」「スキがあったらかかってこんかい!」などのギャグで、30年以上の間、人気コメディアンとして活躍した。 (共同通信) - 7月26日13時6分更新 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
July 26, 2005 04:54:53 PM
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