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**************** 何を考えているのか。 「私が聞きたいところだ」 冷ややかに嗤いながら、リヒャルティを置き去りに、セシ公は自室から持ち出した紫の布包みを手に、パディスへ馬を走らせた。長丈草(ディグリス)を風を読みながら巧みに馬を駆けさせる。昔ながらの技だ、造作もない。懐かしささえ感じるぐらいだが、腹に抱えた布包みの冷たさが、いや背中を伝い落ちる冷や汗が、ただ不安だけを増幅させる。 なぜ踏み込まない、あの『氷の双宮』の中へ。 ユーノは『氷の双宮』の外を巡回し、逃げ遅れた民を誘導し、レアナやイルファ、レスファートが『氷の双宮』に入った後、その外側で野戦部隊(シーガリオン)と共に、押し寄せてくる『運命(リマイン)』軍に立ち向かうと言っていた。アシャもまた、全ての民の避難を見届けた後、ユーノと同様、『氷の双宮』の外の守りに着くと話している。 それでは、誰が戦後の混乱や民の統率を引き受けるのかと言う問いには、『太皇(スーグ)』がおられると、一言で済んだ。アシャの気配の危うさは、既に多くの知るところとなりつつある。かつて、ラズーンの第一正統後継者としての輝きは見る影もなく、誰も口には出さぬが、この戦乱が終結した際に、その命が残っていない方が良いのではないかと囁く者さえ居る。 そうしてそこに、セシ公の名前が浮上する。 『太皇(スーグ)』お一人では心許ないが、四大公のセシ公が居られれば、実務にも支障あるまい。権威と実績、その両方が備われば、ラズーン復興も成し得るだろう。 だからこそ、本来セシ公は、こんな場所に居るはずがなく、単騎で動き回るなどあってはならない。 望んでいたはずだ、世界の全てを知ることを、何を犠牲にしても、何を代償にしても。 自身の魔性は十分に心得ている、今更恥じるものでもない。 なぜアシャの前をさらりと通り過ぎ、この内側で守りを務めると言い放てない。 全ては計算尽く、しかも一番安全な方法で、セシ公はラズーン内部の謎を暴き、手にすることができると言うのに、なぜこうも言いようのない不安だけが胸を塗り潰していくのだろう。 「まさか」 未知のものへの恐れだと? いや違う、この不安の正体を、セシ公はよく知っている。 万に一つ、億に一つ、決して間違えてはならないものを、間違ってしまった時の感覚だ。 セシ公は何か致命的な過ちを犯しており、しかもそれに気がついていない。 戦局から離れ、頭を冷やして、全ての要因を考えてもみた。打てる限りの手を打った。可能な限りの策を講じた。ラズーンはぎりぎり生き延びられるはずなのだ。多くの兵と民衆を差し出し、肉を削ぎ落とし、かろうじて中心の骨格だけは残るはずなのだ。 何を見落としている。 何を。 放っておかない方がいいような気がする。 リヒャルティに話した瞬間、思い出せそうな気がした。けれどその代わりに、脳裏に閃いたのは、パディスから持ち帰った水晶の玉だ。未来が見えると言う、その伝え。 馬鹿馬鹿しいが、どうせ戦乱の中で破壊されるか失われるだろう、パディスに戻しておこう。 戦局が進めば、パディスも火の海となるかも知れない、行くなら今しかない。 西は不思議なほど静まり返っていた。 降り始めた雨のせいかもしれない。見る見るあたりが薄暗くなっていくが、セシ公は速度を緩めない。遺跡に着く頃にはかなり濡れてはいたが、それほど苦労なく馬を待たせて遺跡に上がる。 世界の混乱をよそに、遺跡の像の腕の中に、布包みを解いた水晶玉は、ずっとそこにあったかのようにずれ一つもなく収まった。 「…アリオ・ラシェット…」 瞬間、脳裏に蘇った名前に、セシ公は訝る。 なぜ、今急に、ジーフォ公の婚約者のことが浮かぶ? 眉を寄せた途端、水晶玉の中に光が揺らめいた。はっとする間もなく、見る見る光が広がり溢れ、紅蓮の色を帯びる。覗き込むセシ公の頬を熱いほど照らす激しい炎。 「『氷の双宮』が……燃えている……?」 見慣れた壁が、炎に這い寄られ纏いつかれて紅に染まっている。炎の勢いは強く、周囲に渦を巻きながら荒れ狂い、他には何も見えない。 「…む」 違う。 炎の壁が中央で割れた。一筋細く走った道を、誰かがゆっくりと歩いてくる。業火の中とは思えない落ち着いた足取りだ。 「…アシャ…」 『氷の双宮』を緩やかに振り返る仕草、水晶玉がその顔をよく見ようとでもしたように、画面が動き、歩いている人物の顔に焦点が定まる。 黄金色の髪、紫水晶の瞳、滑らかな頬、薄紅の美しい唇。 穏やかで静かな微笑はこの世ならぬ光を帯びているように見える。 「アシャが……『氷の双宮』を……?」 画面が揺れた。ぐるりと回されるように、様々な光景が水晶玉の中を過って行く。 だが、光景は変わるのに、画面の光は変わらない。 燃えている。 ただただ燃えている。 ラズーンが全て、燃えている。 そして、その元凶であると思われる男は、慌てた様子も怯えた様子もなく、淡々とその場を歩み去ろうとしている。 「…待て……」 セシ公は呻いた。 「どこへ行く気だ」 アシャは振り返らない。 「何をする気が」 声は届かない。 「何を…したんだ」 画面はアシャの後ろ姿を追い続け、やがてアシャは焼け焦げた扉のようなものの前に立つ。 「…南門……」 僅かに残る意匠でわかる、当たり前だ、死守すべく毎日毎日見つめてきた門だ。 「やめろ…」 アシャは門に手を触れる。押し開く素振りさえなく、ただ指先を当てただけ、けれど門が軋みながら開いていく、どんな抵抗も許されぬように。 「あなたは……何を…」 門の外に炎は及んでいなかった。内側だけを焼き尽くしていた業炎は、門を開かれ、新たな天地を見出して喜びに溢れたのだろう。アシャの後ろ姿を包むように追いかける。 ふと、アシャが振り返る。 まるでセシ公が見つめているのに気づいたような訝しげな顔。 片手を差し伸べて掌を立てる、視界を遮るかのように。 けれど、その半身振り返った姿の先には。 「……」 ことばが出ない。 強く握りしめた指先が掌に食い込む。だが、緩められない。どれほどの窮状に追い込まれたとしても揺らぐことさえなかった意識が霞みそうになるのを、セシ公は必死に堪えている。 目の前の水晶球に映し出された光景が、紛れもなく真実だと、本能が告げていた。 「…カート…」 雨降りしきる中、泥で汚れた女性を守るように抱え込む一人の姿がある。背中には無数の矢、体は切り刻まれて、紅蓮の炎に焼かれた目には薄黒く見えるが、恐らくは流れ出ている大量の血。その少し後ろに、主を守るかのように大手を広げて立つ姿にも見覚えがあった。 ならば、抱え込まれた女性の名前もわかろうと言うもの。 放っておかない方が良かった。 カートの妄執に近い情念を理解していたのに。 何かの手を、打てたはずだった。 打てたはずなのに、打たなかった。 たった一人の馬鹿な女のために、かけがえのないものを、失った。 初めて経験する、とめどなく流れる涙に呆然とするセシ公の前で、水晶玉のアシャは僅かに困ったように微笑み、ゆっくり掌を画面一杯に押し付けてきて、次の瞬間、水晶玉が砕け散った。 ****************
あまりにも長く書いているので、文章だけでなく、ひょっとするとキャラクターも変わってきているかも知れない。終わるころには皆んな別人になっていたらどうしよう。けれども、これだけの戦乱なんだから、多少はみんな変わるかしら。 意外に大筋は変わっていません。 一番初めに書き出した頃から、この流れは考えていたし、今後の展開も多分変わらない。 変えていたらもっと描きやすかったかも知れない。 もっと違う流れも考えてはみたのですが、結局はこうなるみたい。 大筋を変えなかったから書けなかった、年齢も経験も全然足りなくて。 書ける人は書けただろうけど、私には無理でした。 書けるとわかっている今でも、これほど渋ってますもの。 何が苦手なのか。 書き終わったらわかるだろうか。 ううむ。 とにかく、まず1話。 こうでもしなくちゃ書かないのか、私。 筆不精な書き手(笑)を叱咤激励して下さるヒット、本当にありがとうございました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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