2006年ライブドアショック~2007年信用取引開始
調べても当時の自分の資産状況ってもうわからないですね。確か注文のたびにE-TRADE証券からわざわざ郵便物が届いてたので今もその状況だと思うとぞっとします。2005年と言えば泣く子も黙る小泉劇場、郵政民営化の年です。みなさんすごい儲かってたようですが、私は一体どんな銘柄を買ってたのか、本当に覚えていません。覚えているのは、2008年の初めころに勝負をかけた3711創通エージェンシーくらいからで、他はまあ相対的に安くなったから買ったり、高くなったから売ったりしてたんでしょう。2006年にライブドアショックが起きるのですが、私の株はもちろん下がります。でもなんか興奮して売ったり買ったりはしてたような気がします。今考えると恥ずかしくなるような銘柄も買ったような(GDHとかね)。もちろんほとんどの株は最低単位(50万円くらい?)の分散投資でした。2006年の春頃からガクッと新興市場が下がりだして、だらだら体感では4割くらいは下がっていってたような。ライブドアショックは、新興市場の3年近くに及ぶ下落相場の始まりだったのですが、それでも2006年は活気があったような気がします。ここで、なぜこんなに下がり続けるんだろう?と現物オンリーでやってた私は疑問に思います。このとき信用をやってなかったのは不幸中の幸いでしょう。このときいろいろとその疑問を解決するために投資本をさらに読みまくってます。(経済の歴史の本はリーマンショックの時まで読んでなかったかも)で、実はここでアンラッキーとなったビッグなボーナスが私の懐に転がり込むのです。12月ですよ。ええ、仕事はできるんです。また、お金にもがめつかったのでしょう。そんな優秀な私はもういません。窓際といったほうが似合うかもしれません。10年経つと人格が変わってますね。子供には1年に1度は会ったほうがいいと思います。脱線しました。 で、2007年の私の投資知識は、簡単に言うと「会社が税引き後の儲けが株価の8%あるんだから、その8%複利で長期的には資産が増えていくはず。私の計算では定年退職する(ベンチャーで??)ころには、10億円になっているはず!!」という単純明快な知識がベースになっています。間違ってはないと思いますよ。今でもそう思ってます。ちょっと修正はしますが。 ただ、若くて怖いもの知らずなのでこんな会社にいるわけで、「禁断の信用取引」に手を出すことになります。理由は、「私は慎重だが、今は勝負をするときだ。ライブドアショックから1年間にわたって下げ続けてきた新興市場。一方、大型株は強さを保っている。ここで一発ボーナス入れて、更に信用取引を使って!!!」まさに、バッファローマンに果敢に立ち向かうウォーズマン。100万パワー×2×2×3=1200万パワーです。そうです。総資産6000万円が倍になったらどうなるでしょう。ほとんど1億円いきますよね。もちろん入金投資法ですから、1年で億です。去年に比べて4割安なのですから、戻るだけで1億円いくわけです。 たぶん5,6百万円で運用していただろう口座に1500万円をぶち込んで2000万円とし、さらに信用取引を4000万円いきなり計上して勝負に出ます。当時の不動産会社の営業歩合社員は20代でボーナス5000万とかあったときいてます。私にもできないことはないかもしれません。だって同じ若さですから。背負ってるものもありません。そもそも、幼いころから競争することによってここまで成長してきたわけです。ほかの人よりも競争することが好きでしたし、ごく自然に競争意識が出てきます。やるぞ~~~~!!2007年1月頃のことだったと思います。さて、どうなったでしょうか。