雑誌の取材を受けると自分の成長が止まる
と自分は感じています。もちろん書籍の出版となると、もっと終わった感があります。(出版した人を責めているわけではありません。事実、私は「しん」さんの本を昔読んで感動しました。)大きく2つ理由があります。まず、自分の問題です。よく、「雑誌の取材を受けることによって自分の考えが整理されてよかった」とか「これを伝えることで少しでも人の役に立てればうれしい」とか言う人がいます。多少、そういう面もあると思います。(嘘の中に真実を混ぜてしゃべるのが大人です。)しかし、ぶっちゃけるとみんながほしがっているのは、「承認欲求」でしょう。これに真っ向から反対する人はいないと思います。しかし、承認欲求というのは、私のイメージでは際限の無い欲望で幸福感を得るのがだんだん難しくなるタイプのものだと考えています。また、それを追いかけると、他の事がおろそかになります。本を書いたときはすばらしい才能情熱の持ち主も、その欲求が覆いかぶさって数年経つと、もうダメ人間になってしまい、輝きが失われがちで、しかもたちの悪いことに、欲求が止まりませんので、しょーもない本を書き続けることになるのではないでしょうか。作家には誰でもなれるが、作家が最後の職業だ(都知事除く)ということで、いっちょ上がりでピークアウトしてしまいそうな気がするのです。二つ目は、他者の問題です。よく知りませんがキリスト教なんかでも、「嫉妬」を忌み嫌ってますよね。それはごく自然な感情です。自分と同じようなサラリーマンが3億円稼いだという記事を読んで、たしかに1割の人は「自分もなれるかな?」と自問し、その人の役に立つということが実際にあります。私も自問したタイプです。しかし、世の中の9割の人は「嫉妬」するのではないでしょうか。あっこれは、実地の居酒屋おじさん調べです。その嫉妬が自分に向けられるかもしれないという事、雑誌に載るという欲求、更にお付き合いでライターからのお願いを断りきれないとか、そんないろんな状況をきっちり考えて結論を出しているんでしょうか。と、ここまで、否定的なことを書いてきましたが、私の考え方のほうが少数派ではないか?と感じています。特に最近は、インターネットの発達で「個人」の力が強く、その分野で有名になることは決して悪い事ではない、むしろ、みんなそれを目指して頑張っているわけです。と、ホリエモンのやっつけ本にも書いてましたよね。そうやって、自分の市場価値をどんどん上げて、自分のやりたいことを人を巻き込んで楽しくやっていく、それすなわち人生。それをうまく説明しようとすると、古い例かもしれませんが、以下のような感じかな。「出る杭は打たれる(ホリエモン)、出る杭の陰に隠れてうまく立ち回る二番目の出る杭は伸びる(楽天)、なんだかわからないけど、ぐんぐん伸びて出すぎて打つタイミングをつかませない人(孫正義さん)はめちゃくちゃ伸びる。だから、徹底的に隠れる(官僚・フィクサータイプ、太陽の光を浴びると溶ける)か、孫さんのようにぐんぐんやっていくか両方やり方があるよ。私はフィクサータイプで雑誌の取材を受けるのは孫さんタイプ」う~ん、なんか違うかも。。。こうかな。「野心は見えたら消えてしまうと考えるのか(飛ばし記事で台無し)野心は言ったもん勝ち、どんどん言って実現させるのか(孫さんとか。豆腐を数えるように一兆二兆と)」支離滅裂になってきましたので、この辺でやめときます。私が言いたいのは、雑誌の取材というのはメディア露出の入り口で自分から出るということは一私人からジャンプすることを十分に意識して、出るか出ないか決めたほうがいいのではないかな?という話でした。え?じゃあおまえなんでブログ書いてんだ?辞めちまえって?そうなんです。私にもあるんですよ、、、、、、、、承認欲求が。(終)