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現役時代には製鉄関係の技術者としての道を真一文字に歩み続けてきた私が、退職を転機としてこれまでとは全く関係の無かった『木彫り』の世界に、余生のほとんどすべてを注ぎ込むようになるとは、全く予想もしていませんでした。
それも65歳の高齢からで、然も全くの独学でこの世界に飛び込んだのです。 師も持たず我流を通してきたのですが、限られた時間の中で自分の作風を短期間で固めるためには、これで良かったのだと思うようにしています。 私は、一度きりの人生なのだから、其の晩年には自分のやりたいことを個性丸出しで取り組めるような仕事を見つけたいものだと考えておりました。 木彫りはこのような我が儘を許してくれる世界であることを身をもって感じたのが、この世界にのめり込む原因でした。 当初は草花等を中心とした普通の題材で基礎勉強をしましたが、高齢からの取り組みでしたので約2年後には彫刻対象は自分の身近にあった古典的な名所、名物を彫るようになりました。 こうして約5年が過ぎたときの思いがけない事態が起きました。 それは、今までに彫ってきた古典建造物の数多くの物が次々と世界文化遺産に登録されたということで、我ながら一寸驚いた次第です。 それではこれからは未制作のものを一点でも多く彫り足していくことにしようと考えるようになり、、今もこの作業に情熱を傾けて取り組んでおります。 この度インターネットのブログを通してたくさんの方に作品見ていただき、ご批評、ご教示いただければと思っております。 岡 清美 日本の世界文化遺産は1993年に法隆寺(第一次)と姫路城(第2次)が我が国初の世界文化遺産として、ユネスコに登録されてから現在(2006年)までに、13次に分けて下表の如く、順次登録されてまいりました。(第3。第4次。第13次。)は自然遺産) 登録年 第 5次 古都京都の文化財(17件) 1994年 第 6次 白川郷.5箇山の合掌集落 1995年 第 7次 原爆ドーム 1996年 第 8次 厳島神社 1996年 第 9次 古都奈良の文化財(8件) 1998年 第10次 日光の寺社 1999年 第11次 琉球王国のグスク及び関連遺跡 2000年 第12次 熊野3社と其の古道 2004年 私はこれらの世界遺産を出来れば総て何らかの形で木彫りレリーフに彫ってみたいと考えて、これらの作品を彫りそろえました。 65歳の高齢からの取り組みであり、技術も未熟でかつ初めて取り組む分野の作品で すので、彫り方の技術的な面で未知の所ばかり多くて試行錯誤の連続でした。制作にあたって重点をおいたのは 1. より立体感を出すように彫るには、どんな角度か らの構図を撰ぶべきか。 2、 適切な陰影の取り方。 3、 1色の濃淡による色ずけの技法。 4. 建造物は陰の部分といえども実物どうりに彫って おくこと。 5. 嘘を彫らないように、不明の箇所があれば何回でも現地に出かけて確認し、実物どうり正直に彫りあ げること。 6. 平面ヲ5-7ミリ彫るだけでより立体感を出す彫り 方の工夫等をすること。 日本の世界文化遺産ー京都地区 日本の世界文化遺産ー奈良地区 日本の世界文化遺産ー姫路地区 日本の世界文化遺産ー広島地区 日本の世界文化遺産ーその他の地区 阿波踊り 名所・名物ー山口県 名所・名物ーその他の県 歌舞伎・能・その他 人気blogランキングへ良いな~とか綺麗だな~とか思ったらポチッとクリックしてください。 ブログ一覧表です 私は木彫り作品のメイン部門として取り組んできた作品と、其の関連記事を11月いっぱいで書き終えて一応の区切りがついたと考えていました。 しかし、せっかく始めたブログですので、残っているその他の作品(主に家具・調度品に仕立てたもの、その他)をも出来る範囲で順次に追加投稿することにいたしました。 よろしくお付き合いいただければ幸いです。 尚、これらの作品はすべて身の回りで日常生活に使用しています。
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この建物はアントニ。ガウディの設計により1882年に建設が始まったのですが。彼は仔細な設計図を残して居らず,また弟子たちが彼の構想にまとずき作ったとされる資料も内乱等により大半が焼失している。現在は残された僅かの資料をもとに彼の構想を推測する形で建設が進められている。
世界文化遺産に登録された翌年2006年に直下に高速鉄道のトンネルを通す計画が持ち上がり検討の途上建設許可を得ていない違法建設であることが判明した。これ一体どうなるの。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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