手を抜いた先は・・・
介護が介護される人のためではなく、介護する側の都合に偏った時に、結果どういうことになるのでしょうか。お年寄りの介護をしていてオムツ代の節約とか職員の手間を省くためにオムツ交換の回数を減らしたらどうなるか・・・・書いてみようと思います。オムツが汚れたら泣いて知らせたり、ベッドに寝かせていても自分で動くことができる赤ちゃんとは違い、自分ではナースコールを押すことも寝返りさえもできないお年寄りにとって、体位を変えてもらえるオツム交換は唯一体を動かすことができる大切なものです。その回数が減らされて、長い時間体を動かさない状態が続くと、手足の関節は硬くなり拘縮が進みます。関節が曲げられないということは介護者が世話をするのが大変になるし、お年寄り本人も硬くなった体を動かされるたびに痛みを伴います。そしてすぐに表れるのが湿疹。オムツの中のアンモニアによる湿気は、皮膚をカブレさせます。痒くてかいたところはすぐに傷になり、軟膏などを付けて治療が必要になります。でも、患部が汚染されがちになりますから、なかなか治りません。そしてオムツの中で長い時間糞尿にさらされているのですから、尿道から雑菌が進入し膀胱炎になったりします。体位交換ができず圧を受け続けていた臀部や足などには褥瘡ができてきます。抵抗力の弱いお年寄りは、膀胱炎から腎盂腎炎になったり、褥瘡の傷が悪化して感染症を起こし、病院に入院したり最悪亡くなってしまうことさえあります。そうなってくると介護する方は大変になります。常に目を離すことができません。拘縮が進めばオムツ交換のために体の向きを変える時やベッドの上部に体を上げるのにも数人掛りでしなければならなくなったり、発症した病気の治療のために、介護職員さんだけでなく医師や看護師の治療や処置が必要になり、仕事の負担や治療代が増えます。もともと介護の仕事は給料の割には大変な仕事。お年寄りの状態が悪くなり仕事量が増えれば退職する職員さんも出てきて、残った職員さんの負担はより大きくなります。代わりの人員を補充しても、体の状態が個々に違うお年寄りの介護は、その都度あつかいを細かく伝えなくてはならず、新しい職員がそのお年寄りの情報を全部覚えるまでは仕事の負担は減らないのです。少ない人数で日々の仕事をこなすことに追われるようになり、心の余裕が無くなって笑顔も少なくなり、介護の質はどんどん悪くなっていきます。まさに悪循環ですね。回数を減らしたことで節約できるはずのオムツ代も、母のように病気の治療のために利尿剤などの薬を飲んでいて尿量の多いお年寄りの場合は、節約にはなりません。短時間ならば尿パットの交換だけで済むけれど、長時間になると尿パット+軟便用パット+布オムツ+オムツカバー+ラバーシート+布団の交換になって、費用や職員さんの仕事量も大きくなります。 この前母が病院で治療を終えて退院した後は、入院前は1日1回施設に通っていたのを午前と午後の1日に2回通って世話をするようにしました。すると検査データーはあまり良くないのに、見た目では母の体調や精神状態は以前よりずっと安定するようになりました。会話がほとんど普通にできるようになりました。テレビもその日に放送したニュースなどの内容を理解して解説してくれるようになりました。寝返りや腰を浮かせることができるようになり、オムツ交換や着替えをするのが楽になりました。ベッドの上部に体を動かすときには、両手で柵を持たせ「頭を浮かせて、足を踏ん張って~」と母に声をかけ、私が母の腰を持ち上げるようにすると私一人の力でもすーっと動かせます。座っていられる時間が延びてきたので、食事も車椅子に座らせて自分で食べることができるようになりました。以前より通う回数が増えて世話をする時間は長くなったから、一見大変になったように見えるけれど、精神的にも肉体的にも今のほうがずっと楽です。体調が安定しなくていつも緊張して見守っていなければならない事の方が、ストレスが溜って夜も眠れなくなってずっと大変なのです。何年も母の介護を続けてきて、「介護は手を抜いたら抜いただけ、手を掛けたら掛けただけの結果がすぐに表れるもの」・・・とつくづく感じています。本当に介護の仕事を楽にするためにはどうしたら良いか・・・・介護される人の立場に立って、もう一度考えてみてほしいな・・・と思います。