私の腕の中で・・・・
昨夜の母は1度も痙攣発作を起こさずに、心電図・酸素濃度・血圧・体温・・の数値はすべてが安定していて、呼吸もずっと一定のリズムで繰り返していました。落ち着いてぐっすり眠っているように見えました。おかげで夕べはとても静かな夜で、私も久しぶりによく眠ることができたな・・・と思いました。部屋のブラインドを開け、身支度をして6時の朝の検温で看護師さんが来るのを待って、「夕べは一度も発作を起こすことも無く、ずっと安定していたんですよ」と看護師さんに報告すると、「良かったですね」とニコニコ嬉しそうでした。でも・・・検温の後に看護師さんと一緒にオムツ交換を済ませた直後、心電図が今までにない波形を示しました。ランプが赤く点滅し、アラームが鳴り続けました。(これは何? 体を動かしたから? また痙攣?)気付くと母が息をしてなかったので、母の背中を持ち上げ「母さん 息をして!」と言いながら体を揺するとすぐに「はふ~っ」と呼吸をし始め私も看護師さんもふ~っ・・と安堵しました。 でも、心電図の波形は依然としてはみ出すぐらいメチャクチャのまま。それでも母は苦しがる様子もなく、同じように静かに眠っていました。(これはどういうことなんだろう・・・?)もしかしたら、薬でスヤスヤと眠っているように見えても、母の心臓は異常な動きをしているのかもしれない・・・・と思いましたが、もうきっと何もしないほうが良いんだろう・・・と思い私は何も言いませんでした。看護師さんが数名来てしばらく機械をいじっていましたが、波形が元に戻ることはありませんでした。でも、母が同じリズムで呼吸をし静かに眠っているので、その場は心電図計の調子が悪いのかもしれない・・・・ということになりました。でも、9時のオムツ交換時に再び同じ現象になり、そして今度は私が何度も「母さん 息をして!」と呼びかけ続けても、母は再び呼吸を始めることはありませんでした。看護師さんは瞳孔などを確認して、静かに「医師が来られるまで、このままお待ちください」と言われました。私に抱かれたまま、私の腕の中で息を引き取った母。心のどこかで覚悟していたものの、たった今まで息をしていた母が・・・・と、とても現実のものとは思えませんでした。でも、いつも触っていた足のほうから、少しずつ氷のように冷たくなっていくのを感じて、受け入れるしかありませんでした。しばらくして知らせを受けた医師により死亡確認がありました。10時18分でした。今日は3週間の入院予定だった最終日。帯状疱疹の治療が終わったら、元気になって退院できると思っていたその日に、悲しみの中で静かに病院を去ることになりました。(どうしてこんなことになってしまったんだろう。入院する前は悪いながらも安定していたのだから、入院しなかったら、もうちょっと長く一緒に居られたのではないか)・・・と思ったり、(でも、ここが夜中でも医師や看護師が勤務する病院だったから、いろいろ処置してもらえたし、急変時にも安心していられたんだ。施設だったらきっともっと大変だっただろう)・・・と思ったり、心の中は複雑でした。母の介護を始めて8年10ヶ月。その間何度も医師から最期通告をされても、頑張って危ない時期を乗り越えてきた母。ほんとうに最後まで頑張って、懸命に生き抜いてくれました。「私や父のために、よく頑張ってくれたね」と褒めてあげたいです。懇々と眠り続けている母の傍に居る間、母に聞こえているかいないかはわかりませんが、耳の機能は最後まで残っていると言われているので、それを信じて、母と二人っきりになると母の耳元でずっと話しかけていました。「母さん。ありがとね」「母さんの娘に生まれて本当に良かったよ」「母さんの傍にずっと一緒に居られたから幸せだった。」「愚痴ばっかり言ってたのに、いつもニコニコ話を聞いていてくれてありがとね」・・・とたくさん、たくさん感謝の気持ちを言うことができました。介護の日々は、口にはしなくても、母も私も父もいつかは来る別れの時を覚悟しながら想像し、心のどこかで怯えていた毎日でした。でも、大変なこともあったけれど、一緒に過ごせた濃い時間は、とても充実した日々を過ごせたような気がします。テレビ番組では危篤状態になったら家族に知らせが来て、駆けつけた家族に見守られながら一言二言会話を交わし息を引き取るシーンが見られますが、実際にはそれは難しいと思います。病院でも施設でもそして在宅でも、最期の時を自分の人生や家族の事を思い浮かべながら、誰にも気づかれずに独りで逝ってしまうお年寄りは多いんじゃないかと思います。でも母は最期まで眠り続けたままでしたが、さほど苦しむ様子も無く、数名の看護師さんと父が傍で見守り、私の腕に抱かれたまま静かに息を引き取りました。最後の時間はずっと眠ったままだったから、母の本当の気持ちを確かめることはできませんが、きっと家族が最後までずっと一緒に居られて、母は安心して逝くことができたのではないか・・・そしてそう家族が思えることが、残された家族のこれからの生きる支えになるんじゃないか・・・と思います。母の施設では、入所者が亡くなったときは施設内で葬儀を行うことができます。病院で亡くなった時には、施設に連れて帰るか、自宅に連れて帰るか決めるのです。自宅を処分して施設に入所していた母の場合は、施設に連れて帰るべきなのでしょうが、私はできれば母との最後の時間を家族だけで静かに過ごしたいと思いました。だから施設に事情を話し、家族も一緒に宿泊できる葬儀場に母を連れて行きました。