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カテゴリ:いわゆる日記
BBSに遊びにきていただいたKAEDE6138さんからバトンをもらってきました~それではスタート! ≪中学生バトン≫ ○○市立第4中学校
横山やすしさんの息子さんの木村一八さんが先輩にいました。
みやっち、バブ(マイケルジャクソンが飼っていたバブルスというサルに似てたから 好きな教科は英語、国語(英語は学年で10位以内には入っていましたv( ̄ー ̄)v 苦手な科目は理数系。サインコサイン。。。と聞いただけで頭痛が。。。
ブラスバンド部でコントラバスをやってました。高校でも3年間やったので計6年コントラバスをやっていたことになります。
カイリーミノーグの曲でダンスをした思い出があります。
ブラスバンド部だったので文化祭で頑張った思い出があります。
野球部のキャッチャーでキャプテンだった好きな人に告白をしたこと その子とは高校は離れちゃったけど高校2年生までお付き合いしましたよ
部活を頑張ってました。後は女子で集まって好きな人の話に心をときめかせておりました
世代と書いて「よしろ」という名前の男の子でした。
ラブレターを書いたのですが、いつまでたってもお返事がなかったので、家まで押しかけて「どうなのよっ!?」って告白しました(笑) 押しに負けたのか?OKをいただきました
う~~~ん、ないです~。
これもないです。
20年後のあなたはとても幸せにやってますよ~
高校生活の方がとても印象に残っているのですが、この時の同級生とはいまだに交流があるので一生の友達を作れる場所かなと思います。
どなた様も、ご自由にお持ち帰りくださいませ ≪中学生バトン≫
さて、今日の大阪は風がびゅ~びゅ~吹いて寒い1日でした。 いつも仕事が終わってパートさん達としばらく休憩室で談笑するのですが、今日は針治療の話になりました。 実は私保育園に通っていたころに小児針に通っていました。 理由はおねしょが治らなかったからです 感受性が豊か?だったせいか保育園でちょっとお友達とうまくいかなかったり、行事で興奮したり、父と母が喧嘩をしたりしているのを見ると必ずしていた気がします。 母も「気にせんでええよ」と言ってくれたら、すぐに治っていたのかもしれないですが針に通わせたり、近所の人に相談しておねしょの止まる漢方のお茶をもらってきたり、寝る前に布団を汚さないようにビニールシートを敷いたり。。。そういった行動が益々私のプレッシャーになり余計治らなくしていたように思います。 結局小学校2、3年までおねしょをしていましたが、何がきっかけだったのかピタッと止まりました。 そんな辛い思い出があったので、長男が3歳くらいのとき、おねしょをして申し訳なさそうにしていたときは「気にせんでいいよ。洗ったらいいんやから」と言ってあげました。 そしたらそれからしなくなりましたよ。次男、三男にも同じ事を言ってあげたらピタリとしなくなりました。 今、あのときの母のことを思うと初めての子育て、女の子だし、仕事もしていたし必死だったんだろうなと思います。 そして、何日か前の日記で病気で大量出血をし輸血をしたことがあると書きましたがその事も今日書いておこうかなと思います。 小学校5年生の4月の終わりにゴールデンウィーク前に髪を切りに行っておこうということになり母と自転車でちょっと遠い美容室まで行きました。 その帰り母が「ちょっとスーパーに寄っていい?」というので寄ったんです。 そのスーパーに着いた途端、お腹がジワジワと痛くなってきたんです。 帰ってからトイレに直行し楽になったのですが、しばらくするとまたジワジワ。。。トイレヘ。。。の繰り返しで次の日病院に連れて行ってもらいました。 診断結果は「風邪」でした。風邪薬と痛み止めをもらって帰りました。 ゴールデンウィーク中もずっと痛いまま、連休が終わり学校へ。。。授業中もずっと痛くて我慢できずに先生に言って母に迎えにきてもらい早退しました。 母の自転車の後ろに乗るのも激痛。ちょっとした振動でも激痛が走るようになりました。 それでも病院は「風邪」という診断でした。 それからも学校に痛み止めを飲みながらしばらく通ったのですが、5月半ばの朝もう耐えられなくなって学校を休ませてもらいました。 トイレに行くと水が真っ赤になるくらいの下血をしたのですが、少し前にグレープジュースを飲んだせいだと思い出血だとは思いませんでした。 ところが、」トイレから出て布団に入った瞬間吐き気がしたのですがトイレに間に合わず布団の上にもどしてしまったのですが、それが大量の血で側で内職をしていた母が悲鳴をあげたのを聞いた瞬間意識が無くなっていました。 たまたま父が仕事が休みで家にいたので、すぐに救急病院に運んでくれました。 待合室で少し意識が戻ったのですが天井がグルグルスゴイスピードで回っていたのを覚えています。 そして診察室でお腹の中をエコーで調べたのですが、画面が真っ白で何も映らなかったそうです。 先生が「原因がわからないからとにかく手術しましょう」ということになり輸血をしながら緊急手術へ。。。 先生がお腹を開いた瞬間、ものすごい悪臭とウミが飛び散ったそうです。 お腹の中がウミでパンパンでエコーに内臓が映らなかったんですね 開いてみてわかった病名は「盲腸」でした。お腹が痛くなってから3週間「風邪」と言われ続けて切り取られなかった盲腸はお腹のなかで腐敗し切らなくてもちぎれていたそうです。 オペをした先生は私のお腹の中を見てすごく怒り、外で待っていた父をオペ室に入れ「何でこんなになるまでほっといたんや!!!!」と怒って腐敗した盲腸を見せたそうです(笑) もう1日遅かったら亡くなっていたそうです。。。オペは無事に終了しましたがまだお腹の中からウミがでるのでお腹にくだを3本通したまま(ここからウミを吸い出すんです)1ヶ月入院しました。 入院中、誤診をした小児病院の先生が謝りにきました。 裁判という話も出たそうですが、当時はお医者さんに勝てる弁護士さんというのは今のようにいなかったらしく、娘に直接謝罪をというかたちで終わらせたそうです。 月日が流れ私も年頃になったある日、父が突然「わしのおしりの皮膚をお腹に移植するか?彼氏がその傷を見てびっくりしたら嫌やろ。。。」と言ったんですが「そんなんでびっくりして逃げるような男とは付き合わないから、大丈夫!」と丁重にお断りしました(笑) 誤診した先生が悪いんだから気にしなくていいのに、ずっと気にしてくれてたんだなと思ったら嬉しかったです。 お子さんのいらっしゃる方は本当に気をつけてあげて欲しいなと思います お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007.02.15 22:06:21
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