衣替えをしているときに、私や子どものアルバムの入ったダンボールが出てきたので久々に見てみた。 私が生まれた日の新聞 全体的に黄ばんで、歴史を感じます。。。 当時のアメリカ大統領はフォードさん。 夏の高校野球真っ只中 この日は京都平安×東洋大姫路
こちら、ラジオ欄 浜村さんや馬場さんの番組がこの頃から 今人生のどこら辺を生きてるのか私にはわかりませんが、今までを振り返ると、なんやかんや言って好き勝手やらしてもらってたな~って思います。 これは中学の時の写真ですが、この楽器にしても吹奏楽に入部して楽器を決める時、どうしてもこの「コントラバス」を担当したかったんだけど、顧問の先生から「体が小さいからやめてた方が。。。」って言われたんです。 演奏会なんかで、会場までこれを担いで電車やバスに乗らないといけませんからね。 でも、「この楽器やないとほかの楽器はしない!!!」とごねて、幸いフルート、パーカッションが人気で、コントラバスの希望者がいなくて担当にしたもらったんです。 こちらは高校生 男の子ばかりのBOφWYのコピーバンドで、ドラムの子が骨折ベースの子がドラムを叩くことになるベースがいない。。。と、私が中学からベースをしてると噂を聞き付けた隣のクラスのドラム担当が私に「ベースやれ」と言ってきたわけです これも、父が知ったら怒るかな~って思ったんですが、「高校生の時にしか出来へんことは、ちゃんとやっておきなさい」と以外にも応援してくれて、スタジオでの練習やライブで夜遅くなっても黙って見守ってくれました。 ライブの時に衣装に付けるアクセサリーを作ってくれたりもしました 父のお陰で、今でも高校時代を思い出すと心の中がキラキラします そして、20歳でお嫁ちゃんに これは、さすがに「若い!」と父は大反対しました。(ダンナさんも20歳でしたから。。。) ダンナさんと対面した時の父の狼狽は一生忘れなしでしょう。 でも私の、どうしても母が結婚したのと同じ20歳で結婚したいという願望とダンナさんが説得に通いつめてくれたことに、根負けする形で父は許してくれたわけです。 あっ、母はいつも何か相談すると「お姉ちゃんが決めたことやから。」と反対はしません。 さすが母です。 相談して反対されても、こうと決めたら貫き通す私の性格よくご存じです は~。。。 わたし、人生貫き通してる。。。(笑) 誰かにそうさせられたんではなく、貫き通してもらえたから、人のせいにすることも恨むことも後悔もなかったし、どの場面を思い出しても良かったと思えます。 問題はこれから。。。 子どもたちは親の思うようにはいきませんから でも、子どもたちに「おかんのお陰で良い思い出になってる。」って思ってもらえるように、両親が私にしてくれたことを今度は私が子どもたちにしていかなければと思っています
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